よくある質問

成功のニュアンス【自分の中の天才を見出し、開花させる方法】

ぺんたか
ニュアンスぅ?
そんなもんが、大事なんか。

コンドーさん
つぅか、ニュアンスがすべて、とさえ言える。
成功の感覚がつかめたら、もうほぼほぼ、うまくイクからね。

 

本記事の内容

  • 成功を阻んでいるものの正体。
  • 努力が要らない理由。
  • 天才とは何か。それを見つけ出す方法。

 

 

「引き寄せの法則を実践しているけれども、成功できる気がしない」ということを、よく言われます。

実際は、その発言によって、自分自身でもっと成功できなくさせているわけですが……。

なぜなら、それこそが法則だからです。

 

とは言え、そういう気持ちはよく分かります。

ある意味で、感覚がつかめないことと成功できないことは、ほぼイコールだからです。

つまり大事なのは練習や経験、スキルなどではなく、フィーリングなのです。

 

ですからここでは、成功の感触をつかむための微妙なニュアンスについて書いてみたいと思います。

内容的には、全然むずかしい話ではありません。

でも成功できるという感覚をつかむためには、ちょっとした違いをきちんと知っておく必要があるのです。

 

この記事を書いているコンドーさんは、「引き寄せの法則」研究歴10年以上。

関連書籍を100冊以上読み、いまでも思索と実践を続けています。

 

そんなわけで、今回は「成功のニュアンス」について、解説します。

「どうにもピンとこない」「成功できるという感覚や予感が欲しい」と思っている方は、ぜひご覧ください。

 

 

下積みをパスする方法

何事をするにつけ、大事なのは感覚です。

感覚というのは例えば、「それは普通のことだ」「日常でしかない」という思いのことです。

人間は、自分にとって普通であり日常であることをするようにできているからです。

 

登山家にとっては、何千メートルもある山に登るのは普通のことです。

ナンパ師にとっては、待ちゆく女性に次々と声をかけるのは普通のことです。

大企業の経営者にとっては、何億ものお金を動かすのは普通のことです。

 

このどれもが、普通とは思えない人にとっては「スゴいこと」であり「とんでもないこと」です。

こうした感覚の違いは、どうして生まれるのでしょうか。

 

多くの人が、「できるようになったら、普通のことになる」と考えます。

つまり、経験を積んで少しずつ普通のことになり、それでやっとできるようになるという話です。

でも、実際には逆です。

つまり「普通のことになったら、できるようになる」というのが、本当なのです。

 

人並み以上に長い時間と、多くの経験を積んでそこにたどり着こうというのなら、徐々に経験していくのもいいでしょう。

いわゆる、「下積み」と呼ばれるものです。

ただし下積みは、成功に必須の条件ではありません。

 

下積みが長い人もいれば、すぐに成功する人もいます。

それは、誰でも知っていることです。

そして、なぜ下積みの時代を経なければならないのかと言えば、成功の感覚がないからです。

 

ですから、いますぐにでも成功したいと望むのなら、感覚をつかむことは必須の条件です。

「自分は成功できる」「そうなって当然だ」「それはすでに決まったことだ」「もうそうなっていることを感じる」。

そんな感覚のことです。

 

ぺんたか
感覚さえ知ってれば、苦労せずに済むんか?

コンドーさん
まぁ、そーゆーこったナ。
自分がハマっている罠を、まず知るってコトが大事なポイントであるワケだ。

 

 

成功を阻んでいるもの

成功を邪魔している最大の要因は、我々の考えです。

目標を実現させようとするそのとき、多くの人がその道筋を考えます。

つまり、計画を立てるということです。

 

そしてそれは、推奨されていることでさえあります。

「計画的に物事を進めよ」というのは、一般的には「正しい教え」とされているということです。

でもじつは、そこには大きな問題があります。

 

例えば、何かの職業に就こうとするときには、どんな風に考えるでしょうか。

まず学校に通い、関係する知識を学んで資格を取り、アシスタント的な経験を積んで、それから一人前になる。

そんな感じで考える人が、少なくありません。

 

しかしそう考えると、一人前になるためには長い時間と多くの経験が必要だという感覚ができます。

すると、チャンスを無駄にすることも多くなります。

 

つまり、自分を一人前に扱ってくれる環境に移れるようなチャンスが訪れても、パスしてしまうということです。

「まだ自分は準備中だから」と考えて、二の足を踏んでしまうというわけです。

 

計画を立てることの問題は、それだけではありません。

プランどおりでなくなると「失敗だ」と考えてしまうことも、また大きな障壁になっています。

 

大切なのは目標を達成することであって、計画どおりに進めることではありません。

でも、計画と違ったことが起こることによって、目標を手放す人はたくさんいます。

 

自分がイメージした、自分がイメージできる範囲での道のりというのは、とても限られたものです。

つまり、「目標に到達する道は無数にある」ということです。

 

まずは、「自分の考え」ではなく「自分の感覚」を重視するような態度が必要です。

考えの方に囚われるから、うまく行かなくなってしまうのです。

 

自分の考えは自分の感覚に深い影響を与えているので、混同されがちです。

でも、大事なのは感覚の方であって、考えの方ではありません。

 

そのことを知らないということ。

それがまず、我々を成功から遠ざけている大きな原因なのです。

 

ぺんたか
計画がトンザしただけでアキラメるんなら、そもそもそんなに望んでなかったんでねぇの?

コンドーさん
まぁ、そーとも言えるケドな。
ただまぁ一般的に言って、感覚を重視するやり方のが、うまくイキやすいのは、間違いがないトコロなのだよ。

 

 

計画のニュアンス

先ほどのセクションでは、計画を立てたときの問題点を二つ挙げました。

つまり、自分を必要以上に準備中の身だと捉えることと、計画に捕らわれすぎることです。

 

では、計画を立てることはすべて無駄で、害悪しか生まないのでしょうか。

もちろん、そういうわけではありません。

 

何のために、どうして計画を立てるのか。

そのことを忘れずにいれば、上手に活用することができます。

 

計画を立てることは、その計画を立てること自体が、自分の気持ちを上げてくれるときにだけ有効です。

そしてまた、計画を進めることも、同じです。

つまり、計画を進めることが喜びを与えてくれるときにだけ、計画どおりにやることは力を持ちます。

 

簡単に言うと、計画よりも気持ちの方が大事だという話です。

これは当たり前のことのようでいて、あまり守られていません。

むしろ計画にこだわることで気持ちを乱してしまう人が、少なくないのです。

 

「計画を立てたりそのとおりに進めようとすることは、自分を乗せるための方法」と考えるのが正解です。

ですから、計画のとおりになっていないことによって自分の気持が下がってしまうのなら、その計画は手放さなければなりません。

 

まずは、自分の気持ちを上げることが最重要だということを知ってください。

そして、そこにはニュアンスしかないことを知ってください。

こうすれば必ず上がるという方法は基本的にないことを知るべきだ、という話です。

 

自分の気分を上げてくれる、ある程度確実な方法というのはあるかもしれません。

それでも、いつでも万能というわけには行きません。

個別の具体的な方法というのは、いつ廃れ、また生き返るかが分かりません。

万能の方法があるとすれば、それはただ自分をちゃんと見てやることだけです。

 

あなたの気持ちは、お決まりの方法や固定された計画で縛ることはできません。

多くの人が、自分を縛るために計画を立てます。

けれども正解は、自分を解放するために計画を立てることなのです。

 

ぺんたか
要するに、自分を無視すんなってコト?

コンドーさん
んだな。
自分を無視したら、自分は悲しくなる。
そんな当たり前のことも分からんようになっちまってるコトが、よくあるんやでナ。

 

 

奮い立たせるもの

多くの人が、自分を奮い立たせようとしています。

けれども、大事なのは自分の心が勝手に奮い立つようなイメージを探すことです。

 

奮い立たせるという言葉自体が、おかしいということに気づいてください。

それは、立つ気がない人間を立たせておこうとするようなものです。

まったく無理な話ですし、何の意味もありません。

 

これもまた同じような話ですが、多くの人が「一生懸命やろう」とします。

けれども、大事なのは一生懸命にやることではありません。

「自分が勝手に、一生懸命になってしまうこと」を探し出し、それをやることです。

 

この違いが分かるでしょうか。

さほどむずかしい話ではありません。

でも、ここにあるニュアンスが分からないと、いつまでも無駄な努力をすることになってしまうのです。

 

子供に何かやらせることを考えてみましょう。

本人がやる気になれなくては、なかなかうまくはいきません。

当たり前の話ですね。

でも、これを自分自身に置き換えると、誰でもが分かっている話とは言えなくなります。

 

多くの人が自分自身を強いて、何かをやらせようとします。

タスクを課しスケジューリングをして、自分をマネジメントしようとするわけです。

けれども、それでは大きな力は発揮できません。

 

そもそも、そんなものが必要とされているところに最大の問題があるからです。

子供を小突き回して望まないことをやらせても、大きな成果は得られないのと同じことです。

 

こういう趣旨の話をすると、お決まりで返ってくる反論があります。

「じゃあ、何でも楽な方に行けばいいのか?」

しかし、こういう反論をすること自体が、自分自身が分からなくなっていることの証拠だと言えます。

 

あなたは別に、「とにかく楽がしたい」と思っているわけではないはずです。

自分の中に、興味があるもの、やってみたいこと、確かめてみたいものが必ずあります。

そして、その多くは長らく放置されたままになっています。

 

ただし、決して死んではいません。

そういうものたちはただ、「そんなことをして何になるのか」とあきらめられてしまっただけです。

しかし捨て置かれていたにしても、それに対してアクションを取りたいという望みが消えることはないのです。

 

どんなに目を逸らしても、あなたを奮い立たせてくれるものは、そこにしかありません。

そういうものをあきらめて忘れてしまった人が、意図的に自分を奮い立たせようという虚しい努力をするわけです。

 

代替物でしかないものを目指して、どんなに懸命に旗を振っても、それはムダというものです。

自分をごまかし続けることは、不可能だからです。

 

一方で、あなたにとって意義のあることの、その意義というのは、あなただけのものです。

そして、そういうものがまた同時に、万人へとつながっているのです。

 

ぺんたか
コレって、もしかして「努力はいらん」ってコト?

コンドーさん
そーだな。
努めて力を込めようとしている時点で、言ってみりゃ、まぁ、ダメなんだよ。

 

 

天才とは。そして、凡人になる方法

自分にも、天才があったらいいな。

自分も、天才だったらいいな。

そう思ったことはありませんか?

 

けれども、そもそも人が天才と呼んでいるものとは、一体、何でしょうか。

一般的には、「圧倒的な能力」のことでしょう。

でも、それはどこから生まれるのでしょうか。

 

天才を呼び起こすもの、それは細やかなこだわりです。

そして、そこには微妙なニュアンスがあります。

ニュアンスというのは、完成と未完成を隔てる違いのことです。

それが見える人間だけが、「天賦の才」というものをすくい上げることができます。

 

例えば、絵や文字を書いてみたとき、その結果の姿に「どうも違うな」と感じたら、そこに才能があります。

これは例として出しただけで、別に高尚な趣味ではなくても、まったく構いません。

テレビゲームのプレイの仕方でもいいですし、塗り絵のでき具合でも何の問題もありません。

 

大事なのは、「もうちょっとこうしたらいいんじゃないか」という感覚があるかどうかです。

つまり、こだわりが感じられるか否かという話です。

 

こだわりというと、自分の方からしつこく食い下がっていくような印象があるかもしれません。

でもそういう感じの話ではなく、大事なのは「これは違う」「こっちの方がいい」というイメージが勝手に生まれるということです。

つまり、自然と生まれてくる「ニュアンス」が感じられるということです。

 

要するに、こだわりの中にニュアンスがあり、ニュアンスの中に才能があるわけです。

逆に言うと、凡人になるための方法とは、自分の中にあるニュアンスを捨て去ることです。

細やかなこだわりを捨て、世間的な価値に合わせるたびに、人は平凡になっていきます。

 

何があなたの心に引っ掛かるのか、こだわりに火を付けるのかは、誰にも分かりません。

あなたの意識すら知らないことで、答えは無意識の底から浮かび上がってきます。

思いついたものややってみたことが自分にとっての正解だったかどうかも、決められるのは直感だけです。

 

結局のところ、天才とは、あきらめられることのなかった意義のことだと言えます。

意義というのは、少し堅苦しい言い方かもしれません。

これはつまり、「自分にとっての答え」「自分を納得させるもの」のことです。

 

ここから、世の中に自分の天才を示す方法が分かります。

それは、自分があきらめなかった自分の興味に対する自分なりの答えを、現実の中に生み出すことです。

 

その人なりに追求して見つけ出した答えを見せつけられるとき、人は自然と天才を感じます。

なぜかと言えば、自分があきらめてしまったものがそこにあることが、はっきりと分かるからです。

 

天才と呼ばれるものの意味が、お分かりでしょうか。

大事なのは、何かを上手にやることではありません。

自分なりに、納得できる答えを見つけ出すことです。

 

人の心が強く動かされるのは、単に「首尾よくやれているから」ではありません。

やった側の人間が持つ「完成形のイメージが自然と伝わってくるから」です。

 

また、自分の中にしかない完成のイメージは、自分の喜びと深くつながっています。

「これだ!」と思えることを現実の中に生み出すことは、いつでも喜びを与えてくれます。

逆に言うなら、「こだわりを捨てることは、喜びを捨てること」なのです。

 

世間的には上手にやってのけたけれども、不幸なままの人はたくさんいます。

「自分にとっての答えを無視して、世の中の物差しに合わせること」は、取りも直さず「自分を無視すること」です。

 

自分の尊厳が感じられる部分を無視すれば、不幸になるのは当然の成り行きです。

結局のところ、「答えは自分の中にしかない」ということです。

 

ぺんたか
自分の中の答え、か。
ホントーに、それでええんやろか。
大丈夫なんやろか。

コンドーさん
そーゆー疑いは、誰でもが持っているモノだな。
しかし、それを強く意識すると「ああ、あの無力感のことだな」とお互いに以心伝心をすることになり、自然とチカラは奪われちまう。
それが法則だ。

 

 

まとめ:成功のニュアンス

記事のポイントを整理します。

  • 感覚ではなく考えの方に囚われると、成功は阻まれる。
  • 大事なのは、一生懸命にやることではない。
  • 天才とは、自分の中に勝手に生じてくるニュアンスへのこだわり。

 

今回は、「成功のニュアンス」について解説しました。

「成功も天才も、自分が感じるニュアンスの中に潜んでいる」ということを示すのが、今回の記事の主眼です。

 

ここまで少し早足で説明したので、以下は有料会員の方のために、もっとくわしく「天才を育てる方法」や「天才と成功との関係」、「最大の注意点」などについて解説したいと思います。

ここまで読んでいただき、大変、ありがとうございました。

 

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