
なんでも、思いどおりになるん?
「引き寄せの法則」で!?
少なくとも、本を書いてる人たちは結構、そーイッてるよね。
今回は、「引き寄せの法則」で「すべてを自分の思いどおりにできる」と主張されている点について書きたいと思います。
多くの方から質問を受けるのも、「ホントに、何でも叶えられるの?」というものです。
「引き寄せの法則」の主張する「万能さ」「万能性」は、果たして信用できるような内容なのでしょうか。
あるいは、もしそのまま受け入れられるようなものでなかったにしても、何か大事な教訓が得られるようなことはないでしょうか。
その辺りを、探っていきたいと思います。
この記事を書いているコンドーさんは、「引き寄せの法則」研究歴10年以上。
関連書籍を100冊以上読み、いまでも思索と実践を続けています。
そんなわけで、今回は「引き寄せの法則」の「万能さ」について検討します。
彼らがそんな大それた主張をするその理由と、実際に教えを生かして成功するための糸口を探っていきます。
もくじ
どんな主張がなされているか

まずは、実際の書籍で、どんな内容が説明されているかを見ていきましょう。
一冊目は、「引き寄せの法則」ブームの火付け役となった世界的ベストセラー、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』からです。
あなたがないたいもの、やりたい事、欲しいもの全てが手に入ります P15
あなたが思い続けることによって引き寄せない限り、あなたの人生には何事も起こりません。P55
次に、ロンダ・バーンに強い影響を与えたと思われる「引き寄せの法則」の大家ヒックス夫妻の著作からも、少し引用してみます。
どんなことでも、いきなり経験のなかに現れることはない。あなたがそれをーそのすべてをー引き寄せている。例外はいっさいない。P63
望むことはなんでも実現できる P30
以上のように、やはり「引き寄せの法則」によって「望むことは、すべて可能だ」としていると見てよいかと思います。
同時に、「すべては自分が選択したことだ」ということも言われています。
しかし、なぜここまで強い主張ができるのでしょうか。
その秘密は、「引き寄せの法則」という思想の源流を探ることで明らかになります。
はっきしイッて、超絶あやCですね。
「何でも実現できるし、すべては自分の選択であり、責任なんダ!」って、言われても、ねぇ。
ブッ飛んでて、なんつーか、ある意味、もう笑うしかねぇよナ。
「引き寄せの法則」の源流

「引き寄せの法則」のブームは、ロンダ・バーンが2006に出版した『ザ・シークレット』によって起きました。
しかし、「引き寄せの法則」自体は、別に秘密にされていたわけではありません。
例えば、『かもめのジョナサン』で知られるリチャード・バックが「引き寄せの法則」の思想そのものとも言える内容を小説『イリュージョン』で描いたのは1977年のことです。
この辺りが、いわゆるニューエイジの時代です。
ニューエイジ思想には仏教やヨガといった東洋的な思想も多く含まれていますが、「引き寄せの法則」のような思想もかなり強く混ぜ合わされています。
さらに60年以上さかのぼると、1916年にチャールズ・F. ハアネルが二十四週にも及ぶ通信講座で「引き寄せの法則」の内容を人々に教えています。
この講座の中身は、現在でも書籍で読むことができます。
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書評・レビュー:『ザ・マスター・キー』チャールズ・F・ハアネル、菅 靖彦訳(河出書房新社)
コンドーさん はぁーい。 今回は、通信教育でボロ儲けしたらしい、ハアネル版の「引き寄せの法則」でーす。 ぺんたか それは羨ましいですね。 ボクも、あやかりたいデス。 チャー ...
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ハアネルは、ニューソート系のライターです。
ニューソート思想というのは、まさに「引き寄せの法則」の源流となる考えで、じつはキリスト教の一派から生まれたものなのです。
ここまでを逆に見て、流れを確認してみましょう。
まずキリスト教の一派から生まれたニューソートがあり、そこに東洋的な思想を混ぜ込んだ焼き直しがニューエイジ、そして、それをまたニューソートの方へ戻した感のあるさらなる焼き直しが「引き寄せの法則」と、かなり乱暴ですが概略としては、そんな風に描くことができそうです。
次のセクションでは、「引き寄せの法則」の源流であるニューソートについて、もう少しだけ説明したいと思います。
シューキョーかよ!
そらもう終わったな。
だって、この研究所のモットーである「現実的な解釈」もクソもないやんか。
でも、すぐに投げ出すんじゃなくて、もう少し探ってみるコトにしよう。
何かあるかもしれんからな。
「引き寄せの法則」が過激である理由

ニューソートは、神学者のセルヴェトゥス(ミシェル・セルヴェ)という人の思想から生まれたものです。
彼は、神を人間と同じようなものと捉えるイメージを持たず、つまり「人格神」としては考えませんでした。
そうではなく、ある一つの根源的な物質だと見たのです。
彼は、「この世のあらゆるものは、ただ一種類の物質によって生み出されている」と考えました。
このような考え方を、「一元論」と言います。
つまり、「元になるものが一つしかない」ということです。
この元になる物質は、「原物質」と呼ばれたりもします。
あらゆるものは原物質から生まれたのですから、もちろん人間もまた同じです。
彼は、人間も原物質が姿を変えたものであることから、通じるところがあるだろうと考えました。
そこから、この原物質に対して祈ったりすることによって、働きかけることができるという発想が生まれたわけです。
「イメージすることによって現実になる」という「引き寄せの法則」の基本的なアイデアは、このセルヴェトゥスの考えから生まれたものだと言えます。
なお、ニューソートについてより詳しくは、関係書籍をレビューした記事があるので、そちらをご覧ください。
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書評・レビュー:『ニューソート―その系譜と現代的意義』マーチン・A. ラーソン、高橋 和夫・木村 清次・鳥田 恵・井出 啓一・越智 洋訳(日本教文社)
コンドーさん はいはい、どーもどーも。 今回は、「引き寄せの法則」とか成功哲学の元ネタになっているニューソートについての本のレビューです。 ぺんたか 元ネタを知れば、引き寄せの理解も深ま ...
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さて、「引き寄せの法則」の源流にニューソートという宗教的な思想があることを説明しました。
これを知れば、「引き寄せの法則」の主張が強烈なものである理由もまた分かります。
そうなるのかは、ある意味、当然の話です。
なぜなら、世界の根本の成り立ちすべてを説明しようとし、自分たちの教えのとおりにすればすべては解決すると「何の根拠もなし」に教えるのが、宗教だからです。
ご存知のとおり、強弁は多くの場合、その根拠のなさに原因があります。
そもそも死後や神といった証明できないものについて「自分たちが絶対に正しい」と主張するのですから、それは強弁でしかありえず、だから強弁するしかないのです。
その流れを汲む「引き寄せの法則」としても、もちろん証拠も根拠もなく、自ずと過激な主張に傾きがちになってしまいます。
結局のところ「引き寄せの法則ですべてが叶う」というのは、単なる信仰告白にすぎないと言えます。
つまり「引き寄せの法則」関連の本を書いた著者たちは、「私は世界がそのようなものであると信じる」と主張しているだけだということです。
結局、「オレはそーだと信じてるんだよね!」ってダケの話かよ。
信じてない側からすれば、「そんなん知らんし」としか言いようがない。
「万能さ」のイメージから引き出される重要な教え

「引き寄せの法則」で何でも叶えられるという主張は、ただの信仰告白であると書きました。
では、そうした考えは一元論的な世界を信じている「信者」たちだけにとってしか意味のないものなのでしょうか。
答えはおそらく、必ずしもそうともならないというものです。
むしろ「引き寄せの法則」には、人を不幸から救うような大事な教えが眠っています。
なぜかと言えば、「すべては可能だ」という考えから「すべては自分次第」という考えが生み出されるからです。
そして、その考えの持つ意味はとても大きいからです。
「すべては自分の働きかけ次第である」という考えは、「自分以外の人間に頼る、お願いする」という心の態度を排除します。
そして、このような態度こそが、たくさんの人が陥る不幸を防いでくれる効果を持っているのです。
世の中には、人生相談と呼ばれるものがあります。
そして、そのほとんどが「この人がこうしてくれない」「あの人がああいうことをしてくる」といった類いのものです。
つまり人間の悩みのほとんどは、「他人が自分の思うとおりにしてくれない」というものであるわけです。
そうした悩みはもちろん、「自分の思うとおりにしてほしい」という思いを連れてきます。
そして、そうした望みこそが、人を不幸にするものなのです。
この辺りの問題を整理するために、次のセクションでは、とある大ベストセラーのアイデアを借りることにしましょう。
「関心の輪」と「影響の輪」

『7つの習慣』は、スティーブン・コヴィーによる自己啓発書で、全世界で3000万部を売り上げた一大ベストセラーです。
その中にある「関心の輪」と「影響の輪」というアイデアが使えるので、少し拝借したいと思います。
テーマとしては、世の中には変えられることと変えられないことがあるということ。
そして、どこに意識を向けるかで自分の能力が発揮される度合いが変わる、というような話です。

まず「関心の輪」というのは、自分が意識を向けることの全体を意味します。
例えば、今日の天気や世界情勢のことを思う場合もあれば、学校での勉強や職場での仕事の内容、あるいは何を食べたり飲んだりするかを考えることもあるでしょう。
この「関心の輪」の中には、二種類のものが含まれています。
それはつまり自分が強い影響を与えられるものと、そうでないものとの二種類です。
例えば、天気や世界情勢に対しては、基本的にコントロールすることはできません。
でも、お昼に何を食べようかということには、簡単に自分で強い影響を与えることができます。
勉強や仕事については、これらが混在しており、自分で決められる部分とそうでない部分があることでしょう。
教師や上司の気持ちなどは変えられませんし、自分がどれだけ課題をこなすかについては自分でコントロールできる部分が大きいです。
これらの二種類のうち、自分が影響を与えられる部分を「影響の輪」と呼びます。
著者は自分が影響力を行使できない「関心の輪」に意識を向けるような姿を、消極的なエネルギーが生み出される「反応的な生き方」として退けます。
そして逆に「主体的な生き方」として肯定されるのは、「影響の輪」に自らのエネルギーを注ぎ、その範囲を広げるようなあり方なのです。
以上のような考えが、著者が何百冊もの成功に関する本を読破して得た知見の一つであるわけです。
これを踏まえて、次のセクションでは「引き寄せの法則」が主張する「すべては可能である」という考えについて、考察してみたいと思います。
例えば、ヒトが言う「文句」の大部分は「影響の輪」の中にはないコトについてであって、だからエネルギーの無駄遣いなんだワ。
「引き寄せの法則」の「万能さ」が意味するもの

「引き寄せの法則」は、「すべてが実現できる」「すべては自分の働きかけ次第」と主張します。
現実的に考えれば、これはありえない話であり、ただの大風呂敷にすぎないということになるでしょう。
しかし、スティーブン・コヴィーの考えた「関心の輪」「影響の輪」のアイデアからこれを見ると、別の姿が浮かび上がってきます。
「すべては自分の働きかけ次第」とする見方というのは、「関心の輪」が「影響の輪」と同じであるような状態と見ることができます。
なぜなら、それは「自分の意識が向くことには、すべて強い影響を与えることができる」ということを意味しているからです。
スティーブン・コヴィーは、成功のためには「影響の輪」を広げるような働きかけを心掛けるべきだとしていました。
つまり「引き寄せの法則」の「万能さ」のイメージは、「影響の輪」が最大まで広がった理想的な状態のイメージと同じであるわけです。
そして、このように望ましい完璧な状態をイメージすべきであることは、まさに「引き寄せの法則」が教えるところでもあります。
人生に前向きの変化を引き起こすには、現状をーそれにほかの人たちのあなたに対する見方をー無視して、望ましい完璧な状態に関心を振り向ける必要がある。P76
結局のところ、「すべてが叶う」とする考え方は、イメージすべき理想状態であるということです。
また、だからそう主張すること自体が「自らの教えに則った当然の話」とも言えるわけです。
同時に、理想状態をイメージしていくことの重要性は、成功にまつわる多くの本が教えるところでもあります。
実際、『7つの習慣』においても、第二の習慣として「終わりを思い描くことから始める」ことが謳われています。
やっぱし、流石に「ウソやろ」って感じがしちゃうよ。
ほいだら、もうちょっと深堀りしてイキましょかー。
現実化する「拡大」や「縮小」のイメージ

そもそも、なぜ理想的な状態をイメージすべきだとされているのでしょうか。
簡単に言うなら「自分次第で何でも可能だ」と考えた方が、自分の能力が発揮されやすいからです。
先のセクションで、多くの人の悩みは「他人が自分の思うとおりにしてくれない」ということだと書きました。
そうした心の状態はつまり、「他人が協力してくれないと、私は幸せになれない」という主張を自分や周りにしていることを意味します。
これが当然のものになると、自分自身にも周囲の人間に対しても「自分は他人次第の無力な存在である」というメッセージを送ることになります。
すると他人も自分も「弱者」として扱うようになり、結果として実際の「弱者」となってしまうわけです。
他人に要望をしたり文句を言いたくなることもあるでしょう。
無気力な状態に陥ってしまうくらいなら、言いたいだけ文句を言ってみるのも悪いことではありません。
ただし、ずっとその状態を続けていれば、自分の「影響の輪」は縮こまり、小さく弱くなっていってしまいます。
そしてまた、自分ができる範囲で手を付けられることは、膨大と言っていいほどたくさんあるはずです。
忘れてはならないのは、「他人の協力がなくては幸福になれない」とするような自分の考えを、嫌っている自分もまた必ずいるということです。
「自分は無力である」という主張を、喜んで受け入れるような人はいないからです。
そして自分が嫌だと感じることを自分にしていると、自分のことが嫌いになってしまいます。
本当は様々なことが実現できずにいる自分よりも、そんな自分を自分で嫌っている場合が多いのです。
自分のことが嫌いな人間は、周囲から見てどんなに恵まれているようでも解消できない不幸を抱えているものです。
うーん、身も蓋もない話デスな。
そのコトをちゃんと意識して、自分のために活用できてるヒトは少ないだろうネ。
初めから望んでいること、知っていること

人間には、捨てきれない望みというものがあります。
それはつまり、「どんなことでも自分の働きかけで可能だ」という望みです。
それを馬鹿げたことだと言う人は、きっとたくさんいることでしょう。
とは言え、「そうだったら素晴らしい」という願いを完全に捨て去ることができる人間はいないようにも思います。
そもそも『ザ・シークレット』が2500万部売れ、『7つの習慣』が3000万部も売れたのは、なぜでしょうか。
それは「自分の能力がより強く発揮される方法が、どこかにあるのではないか」という思いがあったからです。
そして「つねに拡大していく自分の力を、いつでも実現させたい」という願いが、人の心の中にあるからです。
「すべてが叶えられる」という考えが、つねにそのまま現実であると考えるのは、荒唐無稽なことかもしれません。
けれども、その考えから得られる力が、まさにすべてを叶える理想的な場所へと人間を近づけて行くということは、きっと事実であることでしょう。
これが、「引き寄せの法則」がありもしない「万能さ」を謳うことの意味合いです。
それはつまり、人間が捨て去ることのできない望みを何度でも鼓舞し、そこからそれぞれの能力を引き出すための一種の戦略であるわけです。
「引き寄せの法則」を知らずとも、心躍るようなイメージから力を引き出すことができるということは、本当は誰でも知っていることでしょう。
きっと人間が生まれたときから知っていることで、訳知り顔の大人たちより幼い子供の方が、まだその力を上手に使っているようにも思えます。
大人ぶって自分を縮こませるより、それをウマく使ってやるコトの方が、まだしも賢いってもんなんだヨ。
まとめ:なぜ「引き寄せの法則」は万能さを謳うのか

記事のポイントを整理します。
「引き寄せの法則が謳う万能性」については、ポイントは次の3つとなります。
- そもそも万能さは、人間が捨て去ることのできない願い。
- その願いを繰り返し刺激することによって、力を発揮するための新たなエネルギーが得られる。
- 「引き寄せの法則」が万能さを謳うのは、そのための戦略。
ここまでは、「引き寄せの法則」の「万能さ」について書きました。
言ってみれば、自分が本当な望んでいることに意識を向け、そこからエネルギーを汲み出そうとするのが「引き寄せの法則」の考え方であったわけです。
おそらく万能性を謳う「引き寄せの法則」が、「どうしても自分の感覚には合わない」という人もいることでしょう。
しかし、そうではあっても自分の万能さを望むことが人の心がなくなるわけではありません。
合わないという人も、自分の感情に従って「心を踊らせてくれるもの」がどこにあるのかを、自分で探してみてください。
そのような「引き寄せの法則」のメソッドについては、誰でも使えるものであるはずだからです。
以上が、「引き寄せの法則」が主張する万能性についての説明です。
なお感情を重視することの大切さについては、過去の記事でも解説をしていますので、ご覧ください。
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さて、私の研究によれば「何でも叶えることができる」ということに力強く近づくためには、一つの条件があるようです。
そのため以下では補足として、「自分の中に眠っている力を引き出すための大切な条件」について説明したいと思います。
関連する話として、「多くの人が目標を実現できない場合に陥っているパターン」についても書いていきます。
また、「あこがれを現実化するためのコツ」についても解き明かすことにしましょう。
能力を発揮するための条件

早速本題から行きますが、能力を発揮するための条件とは「自分の同意が得られること」です。
それはつまり、無意識的な引っ掛かり、違和感がないような状態のことを意味します。
詳しく説明しましょう。
例えば、「結婚したい」という人がいたとしましょう。
結婚式で皆から祝われる喜びや、得られるだろう社会的安定を求めているのかもしれません。
けれども、自分の無意識は結婚自体がゴールでないことを知っています。
つまり、その後も続いていく生活があるということです。
ですからパートナーはどういう人で、どこでどんな風に生活していくのかといったことがイメージが大切になってきます。
そして、それがなければ自然と無意識的な警戒をしてしまう場合が多いわけです。
潜在意識の中に何らかの不安を抱えていると、結果は主に二種類のものに落ち着きます。
一つめは、そのことが原因で望んだ状態になれないこと。
つまり、この場合はいつまでも結婚ができないということです。
もう一つは、一旦は望んだことが実現したかのように見えて、その後に不安に思っていた結果に終わってしまうことです。
これは生活が安定しなかったり、家庭内のトラブルが起こったりするということです。
つまり、いずれにしても失敗につながることになってしまうわけです。
一般的には、楽天的な人は望みを実現した後で失敗し、悲観的な人は望みそのものを実現することができないことが多くなります。
自分のココロってヤツは、丁寧に扱ってやらんとアカン。
「状態」ではなく「行為」を目標にする

大抵の人は、「どうなりたいか」と目標を聞くと「状態」を答えるものです。
例えば、「結婚したい」「社長になりたい」「スポーツ選手になりたい」「歌手になりたい」「資格を取りたい」「英語が喋れるようになりたい」「ユーチューバーになりたい」等々です。
もちろん、何を目標にしても構いません。
ですが、「望む状態になったら、それで終わり」ではないことは明らかな話です。
そして「それからどうするの?」という疑問は、どの人の無意識も必ず持っているはずのものなのです。
ですから目標を達成した後の状態についても、ある程度のイメージがなければなりません。
そうでなければ、無意識的に躊躇することになって、望む「状態」の実現は難しくなってしまうからです。
また実際には、目標を実現した後に続くような日常を望んでいない場合もあります。
例えば、念願叶ってプロの歌手になったとしたら、毎日あちこちに行って歌を歌わなければならなくなることがほとんどでしょう。
歌うことが好きだから歌手になりたいのでしょうが、それが何年も毎日続くとなれば、話は別かもしれません。
ただし「必ず毎日歌わなければいけないわけではない」という考えも、もちろんあります。
ですから、実際に歌手になった後に、どんな風に活動するのかについても、ある程度のイメージがあった方がよいと言えるわけです。
そうでなければ、自分でも意識できていないような警戒心がなくならないことがあるからです。
言ってみれば、「目標を実現した先まで見通せるようになって初めて、その目標が実現してよいものに変わる」ということです。
「自分の同意を取り付ける」というのは、例えばこういうことです。
この類いの質問をいただいたとき、いつも「状態」でなく「行為」が報酬であるような道を選ぶことをおすすめしています。
つまり例えば小説家を目指すなら、芥川賞を獲った自分という「状態」ではなく、小説を書くこと自体という「行為」から喜びを引き出すことを目指すということようなです。
要するに、毎日々々どれだけ小説を書いていても飽きずに、ただ文章を書いていれば満足という人が小説家になるのがよいという意味合いです。
当たり前の話に思えるかも知れませんが、地位や名誉といった社会的な価値に惑わされている人というのは、たくさんいるものです。
また周囲の人たちにしても、その多くは賞や資格を獲り、あるいは職業に就くというような人がある「状態」になったことを認め、褒めるものです。
しかし、本当に喜ばしいのは「行為」自体から満足感が得られることなのです。
それが願わくば喜びに満ちて、あるいは少なくとも平気な顔で、過ごしてイケるようじゃないと、困っちゃうワケさ。
つまり、無意識はそのヤバさを知ってるから、勝手にブレーキを掛けるというコトだな。
あこがれを現実化するためのコツ

「状態」を目標にすることと同じように、少なからず問題があるのが「あこがれの存在」を目標にすることです。
「あの人のようになりたい」という望みは、多くの人が持っています。
けれども、そこには問題があるのです。
一体、どういう問題でしょうか。
あこがれの存在のように自分もなる、なりたいと思うこと自体は、間違いではありません。
けれども当然のことながら、あこがれの対象というのは自分とは別の人間です。
自分の中にある「私はあの人とは違う人間だ」という当たり前の前提は、無意識的な障壁ができる原因になります。
それによって、知らず識らずのうちに心にブレーキが掛かってしまうのです。
「あこがれを持ったり、それを目標にするな」ということが言いたいわけではありません。
「その人のどこをよいと感じているのか」や「そのよさを自分なりに自分自身として表現するとしたら、それはどういうものなのか」をイメージすることが必要なのです。
結局のところ、「自分の中でピンと来るようなイメージ」が先になければいけないわけです。
それがないままにガムシャラに努力をしても、その努力は「目指すべきイメージがない」という事実からの逃避である場合がほとんどだからです。
マイナスのことが心に引っかかっている状態で闇雲に行動に出ても、その問題が引き寄せられてくるのがオチです。
おすすめなのは、見た目にしろ中身にしろパフォーマンスにしろ「自分だったらもっとこうする」というような点を探すことです。
そして、それを実現した自分を思い描くことです。
それを実現した自分の姿を「まさにそれこそが自分だ」と思えたなら、現実化は一気に近づいたことになります。
またそれを現実化させたなら、その姿によってあこがれていた人に感銘を与えることさえあっても不思議ではないのです。
そもそも「あこがれの存在」ってのは、その人が持っていた「こんな感じ!」っていうイメージを、まさに現実化したって感じヒトなんじゃあねぇの?
って感じだワ。
自分の同意を得るための「感情のナビゲーションシステム」

以上のことを踏まえると、「感情」というものがいかに大事かということが、改めてよく分かることでしょう。
自分が「それだ!」と感じるようなイメージを探すことが、最重要のポイントなのです。
ここで最後に、どういう感情が大事だと説明されているのか、確認のために少し引用してみることにしましょう。
先のセクションで引用したヒックス夫妻は「感情というナビゲーションシステム」という彼ら独特の用語について、このように語っています。
「感情というナビゲーションシステム」に気づいて、自分がどう感じているかを敏感に感じ取っていると、早期の微妙な段階で自分は望まないものに関心を向けていると気づき、自分が望むものを引き寄せるように思考の方向を転換できる。P73
感情に敏感になり、そのうえでほっと開放感を感じる方向へ思考を導いていきなさい P127
つまり「感情というナビゲーションシステムに従え」というのは、「自分が心地よくなるような考えを探して、そこへ意識を向けよ」という意味合いです。
実際には多くの人が「気分が悪くなるイヤなこと」を何度も考えて、望まないものを引き寄せてしまっている点に注意してください。
この引用箇所では、「ほっと開放感を感じる」というような表現が使われています。
他にも、次のように「しっくりくる」というのも手がかりになる感情を、非常によく言い当てている表現だと言えるでしょう。
あなたの壮大な夢がしっくりきて、その実現が必然的な次のステップだと感じるまで想像力を働かせ続けるのです。P156
『新訳 願えば、かなう エイブラハムの教え』エスター・ヒックス 、ジェリー・ヒックス、秋川 一穂訳 ダイヤモンド社 2016
いずれにせよ大切なのは、「自分にマッチしている感じがするかどうか」です。
そして、それこそが「自分の同意が得られる」ということなのです。
ぜひ「感情というナビゲーションシステム」に従って、自分にとってしっくりくるような自己イメージを探してみてください。
あなたの望みがすべて叶えられることを祈っています。
そこをすっ飛ばして、いかに努力しようと、残念ながらウマくはイカないのだゼ?
