いいねぇ、欲しいねぇ。
もちろん、出会い系とかじゃなくて、ねぇ。
まぁ、この記事を読めば、どーゆーカラクリなのかは、バッチリ分かるよ。
本記事の内容
- 「いつか王子様が」は実現する。
- 大事なのは、「心の態度」。
- 「やったことが返ってくる」は、出会いに活かせる。
皆さんの相談に乗っていると、「出会いがない」ということを、よく言われます。
ただ実際には、その発言自体が出会いをなくさせています。
なぜなら、それが法則だからです。
つまり、「出会いがない」と言うと、もっと出会いがなくなるということです。
とは言え、そう思ってしまう気持ちは、よく分かります。
「決まりきったルーティーンになってしまった日常で、どこにチャンスがあるのか」は、分からなくなってしまいがちです。
ですからここでは、出会いの方法について書いてみたいと思います。
あなたの人生を、変えてさしあげましょう。
さほどむずかしい話では、ありません。
この記事を書いているコンドーさんは、「引き寄せの法則」研究歴10年以上。
関連書籍を100冊以上読み、いまでも思索と実践を続けています。
そんなわけで、今回は「出会い」について、解説します。
「どこにあるの?」「毎日が味気ない」と感じている方は、ぜひご覧ください。
もくじ
いつか王子様が
「いつか王子様が」という言い方がありますね。
素敵なパートナーが、きっと自分を迎えに来てくれる。
そんなイメージです。
結論から言うと、「いつか王子様が」は実現します。
でも、「期待するのとは逆の姿」で、です。
どういうことなのか、くわしく説明しましょう。
いつか王子様がやってくる。
「自分のよさに、きっと誰かが気づいてくれる」という、そんなイメージは悪いものではありません。
ただし大きな問題があって、それは「いつか」という部分に表れています。
「いつか」というのは、要するに「今ではない」ということです。
ここに、最大の問題があります。
「いつか王子様が」と思っている人のほぼ全員が、「それは今すぐにでも起こる」とは思っていません。
そして、「たぶん今日だ」とすら思わないのです。
このようにして、「いつか王子様が」というイメージは、実現します。
「王子様が現れる」のではなく、「いつか現れる」という風にして、です。
「いつか現れる」と思えば、ちゃんとその思いが実現するわけです。
つまり、「いつか現れる」という状態が実現して、いつまでも現れないのです。
この話から学ぶべきことが、分かるでしょうか。
それは、「何かを望むのにも、“望み方”がある」ということです。
「いつか、イイことがある」って、思ってたってイイじゃんかよぉ。
自分の思ったコトがそのまま実現して、いつまでも叶わないのでイイならね。
出会いが生まれる理由
「引き寄せの法則」は、現実化を引き寄せます。
出会いについても、同じことが言えます。
「いつか王子様が」に関しても、説明したとおり、ある意味で思いは実現しています。
ただ使い方をまちがってしまい、望む結果は得られなかったというだけの話です。
しかし、そもそもどうして「引き寄せの法則」が出会いを生むことができるのでしょうか。
まずは、その話をしておきましょう。
このサイトでは、「引き寄せの法則」を現実的に解釈しています。
つまり、「宇宙があなたの思いを受け取ってそれに反応してくれるのです」というような意味不明な説明はしないということです。
なぜ「引き寄せの法則」が出会いをもたらすのか。
現実的に考えると、その答えは一つしかありません。
それは、「自分の心の態度が、出会いを作ったりなくしたりしている」ということです。
信じられない方もいるかもしれませんね。
順番に、説明していきます。
例えば、「出会いとは、こういうものだ」という思い込みが出会いを阻んでいるような場合があります。
「同じクラスや職場になったり、友達から紹介されるのが出会いだ」とイメージする、というような話です。
でも、こう考えることで「出会いがすでにあるのに、それが見えていない状態」になる場合が多いのです。
これが、「心の態度」の影響です。
他にも、こんなこともあります。
多くの人が、「出会いがない」と不満を言います。
でも、そんな風に言うと、もっと出会いが見つけ出せなくなってしまうような「心の態度」が作られてしまいます。
「出会いがない」「出会いがない」と言うと、その言葉を自分自身が聞くことになるわけです。
それはつまり、自分で自分を「洗脳」することです。
なぜなら、「出会いというのは特別なもので、そこらには転がっていないのだ」と自分に言い聞かせ続けることだからです。
自己暗示が掛かると、「出会いなんて、そう簡単にあるものではない」というつもりで、世の中を見ることになります。
そうすると、もし目の前にぶら下がっていても見えなくなるのです。
「そんなバカな」と思うでしょうか。
だとすれば、「自分がどう世の中を見るか」が持っているあまりにも強い力を、まだ知らないからです。
その秘密を、お教えしましょう。
コレって、要するに、自分のせいってコトけ?
で、そう意識するコトからまた、自分でコントロールしていく道も拓けるってモノ、なのさ。
タマゴが先かニワトリが先か
多くの人が「出会いがいくつもあると、次の出会いにも期待できるようになる」と考えるようです。
でも、実際はその逆です。
つまり、「出会いに期待すると、出会いがいくつも生まれる」ということです。
こんな風に教えると、「いままで何度も期待してきたけど、何も起こらなかった」と言う人がいます。
誰でも、「自分の見方の方が正しい」と、そう思いたいものです。
とは言え、最終的に自分が得をするのは、このサイトが教える考え方の方です。
具体例を挙げて、お話します。
例えば、お店やマンションの入口など、どこかのドアを両手に荷物を持ってくぐろうとすることが、たまにありますね。
そんなとき、通りすがりの人にドアを開けてもらったという経験は、誰しもあるのではないでしょうか。
けれども、きっとほぼ全員が、その親切な誰かのことをよく見ていないのです。
「お礼を言って、ただ通りすぎるだけ」ということです。
よく見るとは言っても、別にジロジロ見ろと言っているわけではありません。
どんな感じの人だったかを、少しは意識にとどめた方がいいだろうということです。
つまり、「そんなこともまた一つの小さな出会いだ」という話であるわけです。
もしかすると、その同じ人と、またどこかで出会うかもしれません。
そうすると、もっと確かな出会いになっていくことでしょう。
ただし、そんなことが起こるためには、あなたがもう少しきちんと相手を見ておく必要があるわけです。
「だけど、その人は、ただのオジサンやオバサンですよ」という声もあるかもしれません。
でも、彼らにもきっと関わりのある人がいるとは、言えるだろうと思います。
もしかすると次回出会ったときには、そんな周囲の人たちとも、また出会っていくかもしれません。
多くの人が、自分の生活の中にだいぶ入り込んできた場合にしか、その人として認識しようとしません。
そういう「心の態度」を持った人には、周囲も大体は同じように対応します。
あなたが周りにすることは、周りもあなたにそうする。
つまりは、そういうことです。
流れ的には。
自分のしたことが返ってくる理由
自分がしたことが、自分に返ってくる。
先のセクションでは、そんな話をしました。
「因果応報」などと、言われたりもするものですね。
「世の中、そんなものだ」と思う人もいるかもしれません。
しかし、なぜそうなるのかが分かるでしょうか。
別に、仏教のむずかしい話をしようというのではありません。
現実的に説明しようとするのが、このサイトのモットーです。
「因果応報」についても、そうしたいと思います。
「自分でしたことが、自分に返ってくる」という、その理由は二つあります。
一つは「ミラーニューロンの影響」で、もう一つが「自分が受け入れる」ということです。
順番に、説明していきましょう。
ミラーニューロンというのは、人の行動を見たときに、自分でもそれをしたときと同じように活性化する脳細胞のことです。
ちょっと分かりづらいですが、大雑把に説明すると、こうなります。
つまり、「人が何かをするのを見たとき、自分でもそれと同じことをしたような反応が、脳内で勝手に起こる」というような話です。
より詳しくは、以前、別の記事でも説明していますので、そちらをご覧ください。
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マネと共感が成功を引き寄せる。「引き寄せの法則」とミラーニューロン
ココがポイント ミラーニューロンの働きで暗示が伝わり、イメージが現実化される。 ぺんたか ミラーニューロンって、なんだべ? コンドーさん んー。 ニューロンだから、神経細胞 ...
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よく「あくびが伝染る」ということがありますね。
これは、ミラーニューロンの影響と考えることができます。
他人のあくびを見ると、「あくびをしてるな」と認識するときに、自分でも脳内で自分であくびをした状態に近くなります。
だから、それに誘われる形で、実際に自分でもあくびをしてしまうことになるわけです。
話を「出会い」に戻しましょう。
ミラーニューロンは、出会いにどんな影響を与えるでしょうか。
さほど、むずかしい話ではありません。
つまり、自分が「出会いなんてない」と思っていると、周囲の人の頭の中でも、そういうイメージが呼び起こされることになるということです。
親切にされても、そっけなく「感謝はしますけど、あなたと私は関係ありません」という態度を取ったとしましょう。
すると、相手もそういう態度になる可能性が高まるわけです。
お互いに「出会いはない」とイメージしているところでは、出会いが起こりづらくなるのは、当然の話ですね。
これが、「自分のしたことが返ってくる」という理由の一つめです。
さて、もう一つの理由である「自分で受け入れる」というのは、どういうことでしょうか。
それは、「自分が人にしたことは自分がされても仕方がない」と、多くの人が感じるという話です。
自分のことは棚においておきそうなものですが、そうとはなりません。
誰でも、「どの口が言うか」「お前が言うな」と人に対して思ったことがあると思います。
これはもちろん、自分以外の他人に対する批判の言葉です。
しかし、思ったり言ったりするときには、同じ言葉を自分でも受け取ることになるのです。
つまり、人への警告は、自分への警告にもなってしまうわけです。
こんな風にして、「まちがったこと」に対する監視の目は、つねに自分自身にも向けられています。
無意識の一部であり、「どんな風に振る舞うべきか」を命令してくるスーパーエゴ(超自我)が、いつでも自分の行動を見張っているわけです。
(自我の仕組みについての説明は、過去の記事でも触れているので、参考にしてください。)
いずれにしても、人は「自分がやったことは、自分もまたやられる」ということを、無意識的に受け入れています。
人に意地悪をする人は、「いつか自分も人から意地悪をされるだろう」と感じることになります。
逆に、人に親切にしている人は「自分も人から親切にされる資格がある」と無意識的に思うのです。
結局のところ、自分が何かをすると二種類の結果が生じます。
一つは、周囲も同じことをしたような感覚を得ること。
もう一つは、自分もそれをされることがあるだろうと予感すること。
つまり、あなたが何かをすると周囲は「同じことをした気になり」、自分では「きっと自分も同じことをされるだろうという気になる」のです。
これが、自分のしたことが自分に返ってくるという、その理由です。
そして、ここから「出会いの方法」が分かるわけです。
つまり、「自分が出会いに期待すると、周囲の期待をもまた呼び起こし、出会いが生み出される」ということです。
たとえ、意識してなくても。
なんで死ぬまでイジメるのか、と思う人もいるかもしれんけど、わりと単純なカラクリだよな。
まとめ:出会いの方法
記事のポイントを整理します。
- 「心の態度」が様々なことを生み出す。
- 自分のしたことが、自分に返ってくる。
- 自分が期待することで、相手の期待も引き出せる。
今回は、「出会いの方法」について解説しました。
「自分がしたことが、自分に返ってくる」ということを示すのが、今回の記事の主眼です。
この記事で説明した方法は、出会い以外にも使えます。
例えば、出会いの後に大事になってくる「愛される方法」にも、やはり使えるのです。
とは言え、「出会いでも愛されることでも、どうも期待できるような気持ちになれない」という人もいることでしょう。
それに、「たくさん愛してるのに、愛されない」という人もいそうですね。
以下では、有料会員の方のために「愛される方法」について、くわしく説明をしたいと思います。
また、この方法を使うときに外せない「大事な秘訣」についても、お教えします。
今回お話したのは、「小さな出会いを大切にしましょう」というような、単純な話ではありません。
あらゆることに応用ができ、もっと根源的な内容を含んでいるのです。
そのあたりについても、続くセクションで明らかにしていきたいと思います。
ここまで読んでいただき、大変、ありがとうございました。