見つけてくれるのか!?
まぁ、実際は「まったく何の才能もない!」かもしれないけどな。
まずは、どーやって探すのか、探し方を教えてやんよ。
本記事の内容
- 成功できない理由。
- カギは、エスにお伺いを立てること。
- 才能の探し方、見つけ方。
「成功のためには、才能が必要だ」というのは、よく言われることですね。
何かをうまくやろうとしたら、いつでも才能のアリ・ナシが問題になってきます。
実際、よく「自分に才能があるかどうか、悩む」とか、「自分の才能って、どうやったら見つかりますか?」という質問をお受けします。
そこで今回は、その点について解説したいと思います。
この記事を書いているコンドーさんは、「引き寄せの法則」研究歴10年以上。
関連書籍を100冊以上読み、いまでも思索と実践を続けています。
そんなわけで、今回は「才能の探し方・見つけ方」について、解説します。
「自分にどんな才能があるか見つけたい」「見つけた才能を生かして、人生を成功させたい」と思っている方は、ぜひご覧ください。
もくじ
なぜ成功できないか・望みを叶えられないか
まずは、「なぜ望むことを、うまく実現させられないのか」について、考えていきましょう。
これを考えることが、「才能って、どういうもの?」「どうやって探すの?」という疑問への答えにつながっているからです。
「なぜ、願いが叶わないか」と言えば、多くの場合、それは自分自身が同意していないからです。
例えば、すばらしい発明をした人のエピソードには、ふとした瞬間にいいアイデアを思いついたというような話があるものです。
つまり、その人が解決したい問題についてずっと考えていたから起きた出来事だと言えます。
本人の心の中に、「考えていたらきっと、いつかはいいアイデアが思いつくんじゃないか」という前提があることが分かります。
こんな風に、自分の心の中に「きっとできるだろう」という感触があることが、成功のための条件なのです。
自分自身が同意する、というのは、こういうことを意味します。
第二次世界大戦の最中に、色々な国の間で、核爆弾の開発競争がなされていました。
初めに作ることに成功したのは、アメリカでした。
しかし、その事実を知ったソビエトもまた、さほど時間を置かずに開発に成功しました。
つまり「作れる」と分かったら、すぐにできてしまったということです。
これは「理論的には作れる」という状態から、「実際に作れる」に感触が変化したことによるものと思われます。
同じようなことが、陸上短距離の100m走でも起こっています。
平地で初めて10秒の壁を破ったのはカール・ルイスですが、その翌々月にはもう別の選手が9秒台で走っています。
「実際にできる」ということが腑に落ちると、能力の限界を作っていた心のタガが外れる、というわけです。
少し大げさな話になってしまいましたが、日常的なことでも、同じようなことは起きています。
人の年収は、友人など自分にもっとも親しい人たち5名の年収の平均に近づくという話が、よく言われます。
稼いでいる人を身近に見ると「自分も稼げるのではないか」と、感覚的に思えるようになります。
すると、実際に稼げるようになってしまう、というわけです。
また例えば、友人たちのグループの中で自分以外の全員が、パートナーがいる状態があったとしましょう。
すると、だいたいは「自分もいなくてはおかしい」と感じ始めるものです。
そして、実際にパートナーを見つけることになるわけです。
このように、成功のために重要になるポイントは、「自分もできるんじゃないか」「できて当然」というような感覚です。
これは、「できる!」と、自分でただ考えたり、自分に言い聞かせるということではありません。
そうではなく、そんな風に自ずと感じられるということなのです。
これは、いわゆるマインドセットと呼ばれるもので、つまりは「基本的な心の態度」のようなものです。
とは言え、マインドセットについて、世の中にある説明は大抵が無意味です。
その理由は、次で説明することにしましょう。
「たぶん、デキちゃうなぁ」とか「絶対デキるわ!」と感じるコトが大事なんけ?
逆に、「ムリやろなぁ」とか「ドーなんやろかしら」と感じているウチは、成功は覚束ないのだヨ。
マインドセットのワナ
マインドセットは、たしかに大切です。
そして成功者の自伝などを読めば、「スゴイな」と思わされる逸話が色々と書かれているものです。
そのベースにある彼らの心がけ、心の態度は、たしかにすばらしいものです。
けれども、どれだけたくさんの価値ある例を知っても、だいたいはムダになります。
「スゴいなぁ」と感心するだけ、「いい話を聞いた」とその場で満足するだけに終わります。
つまり、それで直接自分のマインドが変わることはありません。
ですから、現実が変わることもありません。
どんなに優れていたとしても、そもそも他人のマインドというのは、自分のものではありません。
それは言ってみれば、他人が気に入った、その人の服のようなものでしかないのです。
ですから、そのまま借りてきても、自分の心にフィットするとはかぎりません。
また、自分が持つイメージや、自分の心のありようには、だいたいはまったく似合わないわけです。
それはつまり、「ただの借り物でしかない」ということです。
そこで、世の中にたくさんいる物知り顔のコーチたちは、こう教えます。
「マインドセットを変えるためには、習慣を変えましょう」と。
あるいは、「ものの見方を変えましょう」と言う人もいます。
「具体的な行動を変えていけ」と主張する人もいるでしょう。
けれども、これらはおおよそ、ただの「お題目」にすぎません。
つまり、それらを知っても、うまくは行かないのです。
多くの場合、「できたらいいが、全然できないもの」でしかないわけです。
何が、問題なのでしょうか。
ここでは、大事なポイントが置き去りにされています。
それは、自分自身の心の中にある「感覚」です。
感覚・感触が大事だという話は、すでにしたとおりです。
これはつまり、「なるほど、そういうことか」というような「納得感」です。
「自分は、こうやっていこう」と思える感じの「覚悟」です。
あるいは、「それでこそ自分だ」と思えるような、自分の性に合っているという類いの「フィーリング」です。
これらは、ただ人の偉業や卓見を見聞きして感心・感動することとは、まったく別の話です。
多くの人が持つ夢や願望についても、同じようなことが言えます。
つまり、人が抱える望みの多くは、どこかから借りてきたものでしかないということです。
借り物の夢や願望は、自分にマッチしていません。
ですから、実現されないのです。
このように、「自分にしっくりくる」ような感触というのが、最大のカギだと言えます。
そして、この点が初めのテーマにもつながっていきます。
つまり、こうした感触こそが「才能」と大きく関わっているのです。
しっくり感、ねぇ。
じゃあ、望みは薄いかもな。
アハハハ!
心のシステム
多くの人の望みは社会的な価値でしかなく、本当の自分は大抵、それに同意していません。
社会的な価値というのは、単純に言えば、「カッコイイ!」と思われているようなもののことです。
典型的な例は、ミュージシャンや作家へのあこがれ、と言えるでしょう。
このような問題点を考えるために、準備のための説明を少ししておきます。
人間の心を説明するため、精神分析で使われているモデルを考えてみましょう。
精神分析では、心には三つの役割があるとされています。
それぞれ、スーパーエゴ(超自我)、エス(原我)、エゴ(自我)と呼ばれるものです。
スーパーエゴというのは、道徳や倫理、ルール、マナーなどと呼ばれるもので、自分で自分を規制する部分のことです。
例えば、買い物に行って欲しい物があったからといって、大抵の人は黙って持って帰ったりしません。
それは、自分の中のスーパーエゴが監視しているからです。
一方、エスというのは、様々な欲求、要求を出している部分のことです。
「何かを食べたい」と思うのも、「何者かになりたい」と望むのも、エスがそう叫んでいるからだと考えられます。
あらゆる欲望の源泉が、このエスと呼ばれる部分です。
そしてエゴというのは、いまこの文章を読んでいる意識の部分のことです。
エゴは、エスの欲求やスーパーエゴの命令を聞きながら、実際にどうするかを決める存在です。
言ってみれば、「心の調停役」と言えるでしょうか。
これらの三つの心は、明確に脳のどこかに存在しているわけではありません。
また、完全に分離した別々の存在として、心の中にいるのでもありません。
単に、人間の習性をより深く理解するための一つのモデルですので、そんな風に捉えてください。
さて、準備ができたので、「望みが叶うか叶わないか」という話に入っていきましょう。
例えば、「お金持ちになりたい」という望みについては、だいたいの人は否定はしないことでしょう。
誰でも大抵は、「お金があるに越したことはない」と思っているということです。
けれども、金持ちになることを心から深く受け入れ、十分に肯定できている人は、案外少ないものです。
多くの人は、お金持ちの実態を知りません。
知らないものについては、エスは不安を覚えます。
ですから、全面的に同意することはできなくなるわけです。
何でも買えるということを望みながら、実際にそうできるということには、気後れを感じたりもします。
自分がほとんどお金に囚われる必要がなくなった状態というものが、想像できないわけです。
また、そういう自分を受け入れることにも、心理的な躊躇があったりもします。
もちろん、「お金持ちであることが、まさに自分の本当の姿だ」と思ってしまえる人はいます。
ナチュラルなマインドセット、というわけです。
しかし大抵の人は、そうではありません。
そのため、もし実現させようとするのなら、お金持ちというイメージを身近なものにしてやる必要があります。
つまり、「自分もなれそう」と思えるように、自分を変えるということです。
それを繰り返しの訓練によって、達成させるやり方があります。
その方法というのが、以前「引き寄せの法則」の実践方法としてお教えしたアファメーションとビジュアライゼーションです。
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やり方はこの二つでOK。願望実現のための基本的な引き寄せ実践方法
ココがポイント 実践の方法は、アファメーションとビジュアライゼーション。 ぺんたか いよいよ実践方法の説明ですな! やったるでぇ。 ワイは、やったるんやでぇ。 コンドーさん ...
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具体的には、繰り返し「自分は金持ちだ」と自分で宣言したり、実際に自分が金持ちとして生活している様をイメージしたりします。
そして、段々とお金持ちのイメージと自分のイメージを重ね合わせるわけです。
つまり、「お金持ちである自分」を「当然のこと」と考えられるように、自分自身を教育するということです。
しかし、こうした訓練の方法自体にもまた、「エス(無意識)が気にいるかどうか」という問題があります。
気に入らなければ、繰り返すことができなくなってしまい、自分を変えることはできなくなります。
そのため、結果が出ない、成功できないという結果に終わるわけです。
ここまでの説明から、「エス(無意識)にお伺いを立てる」というのがカギになっていることが分かるかと思います。
エスの同意がなぜ必要かと言えば、それが意欲を生み出す源だからです。
どんなことも意欲なしには成就しませんが、意欲を生み出すのはエスにしかできない芸当です。
心を動かすガソリンが眠っているのは、エス(無意識)の中です。
ですから、それを利用することなくして、自分に何かをさせることはできません。
これは当たり前の話ですが、これまであまり説明されてこなかった部分かと思います。
前のセクションで説明したマインドセットの問題点についても、以上のような立場から説明ができます。
例えば、「マインドセットを変えるために、習慣を変えよう」と思っても、それはエゴ(意識)が考えていることでしかありません。
つまり、エス(無意識)の側では、それに同意しているわけではないのです。
ですから、新しい習慣を作ろうとしても、うまくは行かないのです。
アタマで理解しているだけでは、ガソリンがないクルマのアクセルを踏んでいるようなもので、前には進みません。
だから、「結局できねぇ」という風になる、と。
たりめーの話だが、しかし、ほとんどまったく説明されていない。
ので、説明した。
自分の気持ちに従う
アファメーションやビジュアライゼーションに挫折した人に、いい方法をお教えしましょう。
それは、「自分の気持ちに従う」というものです。
そもそも自分の気持ちに従っているのであれば、意欲も生まれやすくスムーズに事が運びます。
しかし実際は「自分の気持ちに従うようにしたらいいよ」と教えると、その反応はだいたい決まっています。
「いつも自分の気持ちには従っています」というものか、「自分の気持ちが分かりません」というものです。
でも、「いつもやってる」と言う人でも、望む状態に近づいていなかったり、幸せでないと感じていたりするものです。
つまり、実際には「気持ちに従っている」というのが、できていないということです。
自分の気持ちに従うためには、どういう自分が理想的かというイメージを探すことが必要です。
それが、自分を引っ張っていってくれるものだからです。
でも、「理想的な姿はどんなものか?」と質問すると、有名人などを思い浮かべて、そういうものが理想だと言う人が多いです。
ただ実際には、そういう話ではなく、「どういう姿なら、理想的な自分だと感じられるか」というのが大事なポイントです。
「自分にしっくりくる感じ」と言った方がいいかもしれません。
思い浮かべたイメージに、自分以外の誰かの顔が貼り付いているようではダメです。
あくまで、自分の、自分による理想の話をしているわけです。
例えば、ダイエットをしたいときを考えましょう。
モデルのような体型を望ましいと思ったとしても、それが自分自身だと思えるでしょうか。
問題は、そこです。
「あなたがモデル体型になんて、なれるわけがない」という話をしているのではありません。
どれだけほど現実と遠くても、「それこそが自分だ」と思えれば、自分にとっての正解なのです。
逆に、他の人から見て、まったくダイエットできていないような体型でも、ダメだということにはなりません。
ある条件を満たしていれば、どんなイメージでも正しいと言えます。
その条件というのは、「まさにその体型の自分こそが本当の自分自身だ、と思える」ということです。
やせている人というのは、やせている自分を「これこそが自分」と感じているものです。
ですから一時的に多少太っても、「これは本来の自分ではない」という感覚が、自然と出てきます。
そして、そうであるがゆえに本来あるべき自分の姿に、戻っていくのです。
結局のところ、こういう自己イメージが大切なわけです。
多くの人が、自分以外の人間をイメージして、それを理想として考えます。
けれども、それは当然、自分自身のものではありません。
それはただ自分以外の誰かを、うやらましいと思っているだけの話です。
それは羨望と呼ばれるものであって、羨望というのは一種の絶望にすぎないものです。
人をうらやむというのは、理想とは違っている自分を「ダメだ」と感じている状態だということです。
そしてエス(無意識)は、そのことに満足していません。
自分をダメだと思ったらイヤな気分がするのが、その証拠です。
ネガティブな気持ちになるのは、自分(意識)と自分(無意識)がケンカしている状態です。
そのため、人をうらやむと自分のパワーが必ず落ちてしまいます。
誰かをうらやんでいるときは、「自分自身もそうなって当然で、そうでなければ本当の自分ではない」と感じられてはいません。
だから、それは実現しないのです。
つまり、成功できないのです。
以上のように、「自分の気持ちに従う」ということは、あまり簡単ではありません。
なぜかと言えば、エス(無意識)が感じていることに比べれば、エゴ(意識)が把握していることは大雑把だからです。
エゴは、大まかな筋道を立てて考えて、そのとおりに進むのが正しいと思おうとします。
しかし、そうしたエゴ(意識)の出す答えは、ほとんどの場合、エス(無意識)の一部を無視して出されたものです。
そのことを知らないでいると、「自分の気持ちに従う」ことはできないのです。
実際に、それを表現するかどーかは別にしても、ネ。
「好きなこと」を探すための3つのポイント
「それでこそ自分」というイメージを探すのが大事だ、と書きました。
そのためにはまず、大まかでも「自分が何者か」「自分って誰?」ということが分かっていなければなりません。
「何者か」ということの中には、「何が好きか」、つまり「自分の好きなこと」が含まれています。
そして、「好きなこと」は、自分を突き動かすものでもあるので、とても大事なポイントです。
けれども、「自分が何が好きかが分からない」という人も、実際たくさんいるようです。
ですから、ここでは、その探し方を考えてみましょう。
まず、自分の好きなことを探すための「三つのポイント」をお教えします。
一つめのポイントは、「関わる時間」です。
これは、かなり単純な話です。
「好きなこと」は「自由になる時間を、自分が何に使っているか」で、ある程度は見えてきます。
あるいは、「何だったら苦もなく時間を使うことができるか」を考えてみるのもいいでしょう。
「好きなこと」というと、「つねにワクワクすること」や「いつでも楽しい気持ちになること」というイメージになりやすいようです。
けれども、そこまでポジティブなこととなると、「そんなものは自分にはない」と思う人が多くなってきます。
でも、「長時間、ムリなく関わっていられるもの」と考えると、もっと幅が広くなります。
そういうものは、エス(無意識)が好きなものである可能性が高いです。
単純に、「好きだから、無意識的にそれを続けてしまう」ということです。
「自分が意識して好きだと思えることが、必ずしも重要ではない」という点に、注意してください。
あくまで、無意識(エス)が好きなものを探すのが大きなポイントです。
それは、意識(エゴ)が「自分はこれが好きだ」と意識しているものと、ズレている場合が多いのです。
「好きなもの」を探すための二つめのポイントは、「能動性」です。
自分を変えてくれるような「好きなこと」というのは、「能動的に、自分が何かをするもの」「してまうもの」です。
「好きなことは何ですか?」と聞くと、「音楽を聞いたり、映画を見たりするのが好き」と答える人がいます。
でも、音楽を聞いたり映画を見るというのは、単に受け取っているだけの状態のものです。
つまり、受動的なことです。
けれども、自分が何者であるかを決めるのは、自分が能動的にする行動です。
ほとんどの生き物は、何十億年もかけて自分が積極的に環境に関わることで、生き延びてきました。
そのため、ただ受け取ることでは、大きな喜びは感じにくいのです。
大げさなことでなくても、企てて、手をかけて、結果を見るということが喜びを生み出します。
これは、「ただ人がやったことを受け取るだけの楽しみは、程度が低いからやめろ」という話ではありません。
人生には、受動的な楽しみがあっても、もちろんよいものです。
ただし、「自分を変えてくれるもの」には、能動性が深く関係しています。
だから、そこに注目するのがよい、という話なわけです。
もし日常的な幸福度が低く感じる場合は、自由になる時間を受動的なことにばかり費やしているのかもしれません。
チェックしてみてください。
「好きなもの」を探すためのポイント、三つめは、「自然と浮かぶ発想」です。
無意識(エス)は、好きなことに関わると、疑問点、改善点などが自然と浮かびます。
つまり何かの話題を耳にしたときや、何かの作業をするときに、「これはなぜそうなっているのか」「なぜこうしないのか」というような考えが勝手に浮かぶわけです。
これは、簡単に言えば「興味がある」という話です。
でも、ただ「興味があるものは何か、考えてください」とは言いませんでした。
それには、ちゃんと理由があります。
単に「興味があるもの」と言うと、意識(エゴ)の側が「ない」とか「ある」とかを答えようとしてしまいます。
大事なのは、意識的な興味ではなく、無意識的な興味です。
それを探るための指標が、「疑問点・改善点が浮かぶか」というものなのです。
以上が、自分の好きなことを探すための「三つのポイント」です。
探るのは、アタマで思う感じの好きじゃない、ってコトか。
大事なのは感覚的な答え、ね。
そっちの方が大事だし、信頼できるし、実りがある。
才能の探し方・見つけ方
さて、やっとここで最初のテーマに戻ります。
「才能の探し方・見つけ方」という話です。
前のセクションでは、「自分の好きなこと」を探すための三つのポイントを説明しました。
そして、そのいずれもが「自然とそうなる」ということでした。
つまり、自然と時間を使ってしまい、自然と自分から関わってしまい、自然と疑問点・改善点が浮かぶ、ということです。
この「自然とそうなる」というのが、無意識(エス)の反応であり、出した答えだと言えます。
そしてじつは、これこそが「才能」であり、少なくとも「才能の芽」なのです。
「才能」という言葉を聞くと、圧倒的な芸術作品やスポーツでのスーパープレイ、世紀の大発明などをイメージしがちです。
けれども、たとえそういうものであっても、始まりは、「興味があり、長く続けられる」ということだったわけです。
自分の中から自然と浮かび上がってくるものを、無視したり、軽視したりしてはいけません。
また、「それが生まれたその瞬間に、すぐ社会的な価値があるか」という点に惑わされてはいけません。
それはひとまずは、置いておいてください。
自分の中から浮かび上がってくるものを大事にしないのは、つまり自分を無視することです。
どんなに社会的な成功を収めようと、自分を無視して幸せになった人はいません。
この点は、間違いのない話です。
そんなわけで結局、「自分の才能の探し方・見つけ方」というのは、次の三つになります。
- 自然と時間を掛けてしまうものを探す。
- 自然と能動的に関わってしまうものを探す。
- 自然と疑問点・問題点・改善点が浮かぶものを探す。
このように「自然とそうなる」ものを見つけるのが、「才能」の探し方であり、見つけ方です。
あまりアタマで考えるのではなく、自分がしていること、自然としてしまっていることに着目するようにしてください。
では、次の最後のセクションでは、「才能を見つけてどうするのか、どうしたいのか」について説明しようと思います。
んー。
まぁ、そーか。
自分の中にある才能の芽をちゃんと見つけて、育ててやらにゃーアカンぞよ?
才能を見つけて、どうするか
さて、ここまで「好きなこと」「才能」の見つけ方を説明してきました。
ですので最後のセクションとして、見つけた「好きなこと」「才能」をどう使うか、それで何を目指すのかについて、書いてみたいと思います。
言ってみれば、「好きなこと」というのは、「自分が無意識的にやろうとしていること」です。
それは、子供が気の向くままに遊んでいるような状態を、実現します。
子供というのは、ただ楽しいと思えるものを見つけては、熱中して遊び続けます。
いつでもそうだとはかぎらないとしても、大人よりずっと上手にそれをやってみせます。
そういう衝動が起こるのは当然のことながら、そうしたいからであり、そうしてみたいからです。
でも大人になるにつれ、そういう衝動は、かなり抑え込まれるようになってしまいます。
まずスーバーエゴ(超自我)が「そんな遊んでばかりでいいのか?」「他の人は、一生懸命働いているぞ」という声で邪魔をします。
また、エゴ(自我)は「遊んでばかりでは、将来困るかもしれない」「損かもしれない」という判断をし始めます。
そうやってエス(原我)の「こうしたい」という思いは、「また今度にしよう」と諭され、無視されることになるワケです。
これを繰り返すと、エスが自然に生み出していた欲求が、だんだんと発せられなくなってしまいます。
そしていつしか、「何が好きか分からない」「やりたいことがない」と言い出す羽目に陥ってしまうのです。
それぞれの人間の心には、その都度、やりたいこと・試してみたいこと・楽しそうだと感じること・興味をそそられることがあります。
そして、自分の生を生きるということは、それを実際にやってみて、結果を確かめることだと言えます。
そこでは、①思いついたことをやって、②その結果を受け取り、③また次のための材料にする、というサイクルがあります。
そして、そのサイクルによって、生きている時間の全体を少しずつよくしていくことが目指されているのです。
このように、「好きなこと」というのは、小さなチャレンジを呼び起こします。
それは、人生を改善するための、一つのサイクルです。
そのサイクルを抑制してしまうと、生きる喜びも減っていってしまいます。
大人が一日に笑う回数は、平均十数回とのことです。
一方、子供が笑う回数は数百回だそうです。
つまり子供の方が、大人の何十倍も楽しんで生きているわけです。
その理由は、エスに従って生きているからだと言えます。
子供は、大人たちのように、世の中を「すでに分かったもの」として捉えていません。
大人たちの多くはスーパーエゴやエゴの声に負けて、エスの声を無視して生きています。
これでは、楽しいわけがありません。
「そうは言っても、そんな子供みたいには生きてはいけないよ。」
そんな言葉が聞こえてきそうです。
そう思っても、構いません。
それもまた、不安を訴えるエスの声であるかもしれないからです。
でも、たとえそうでも、「あらゆることを社会的な価値にならい、大人の判断で生きていくと楽しくない」ということは変わりません。
あなたの無意識(エス)が何を楽しいと感じるかは、あなたの意識(エゴ)は、変えられないからです。
また、どんなに抑え込もうと、エスが抱えていた望みが完全にあきらめられ、忘れ去られることはないのです。
つまり、いつでも「ああ、やってみたかったな」という思いは、必ず残っているということです。
ですから、本当はそれを見つけて、少しずつでもやってやるしかないのです。
大人の判断でいつも楽しくない方を選んでいれば、人生が色を失うのは当然の話です。
自分が見つけた「才能」に乗っかって、人生を改善するサイクルを生きてください。
「好きなこと」「やってみたいこと」を探せ、そしてそれをやれ、ってか?
なんだこの、クッソ単純な話は!!!
で、ヤレてるヤツをうらやみながら死んでくんだよ。
っつーか、うらやんでる時点で、すでにソイツは死んでんだよ。
まとめ:才能の探し方・見つけ方
記事のポイントを整理します。
- 成功できない理由は、自分の無意識(エス)が同意していないから。
- 才能の探し方・見つけ方とは、「自分が自然としてしまうこと」に着目すること。
- やるべきことは、才能を見つけ、それに乗っかり、人生を改善するサイクルを生きること。
今回は、「才能の探し方・見つけ方」について解説しました。
「カギはアタマの中にはなく、自然とやってしまっていることの中にある」ということを示すのが、今回の記事の主眼です。
以下、有料会員の方のために、「人がよくはまってしまう”才能から離れてしまっている状態”というのは、どんなものか」や「人生の選択を迫られたときに、才能によって選ぶための方法」などについて解説したいと思います。
ここまで読んでいただき、大変、ありがとうございました。