ココがポイント
「引き寄せの法則」的な思想は多くの著作で展開されている普遍的なもの。
まぁ、個人的には、『ザ・シークレット』にある引用には、コジツケもあるような感じがあるけどナ。
そいじゃー、ココの記事では、どんなヤツを引用するのデスか?
ええ、ええ。
では、イッてみよう。
もくじ
アラン著 『幸福論』
病気のまねをするよりは、健康のまねをするべきであろう。P30
いつでもこう自分に言い聞かせなければならない。「成功したから満足しているのではない。満足していたからこそ成功したのだ」と。P70
手に入れる前に礼を言うがいい。希望というものは希望する理由を生まれさせ、良い兆候は本物を実現させるからである。それゆえ、すべてが良い兆候であり、好ましいしるしであるようにするがいい。P70
『幸福論』アラン著、白井健三郎訳 集英社文庫 1993
アランって、誰?
フランスで高校のセンセーをヤッてた哲学者だな。
スゴイんだな。
根性論とか、精神主義みたいな感じの話とは違うんデスか?
それっぽい匂いもしますけど・・・。
アランを読み違えるヒトが陥りがちなポイントではあるけどな。
意味が分かりません。
不機嫌とか悩みとかはカラダの不調に由来しているコトがすっごい多いので、アタマで考えるんじゃなくて、カラダを動かしてやればええねん、みたいな、ナ。
それを聞くと、けっこう合理的な感じがしますね。
モーロワ自身も、かなり著名な作家だしな。
すでに説明したよーに、「引き寄せの法則」ってぇのは、キリスト教から生まれたニューソートってのが、モトになっている。
書評・レビュー:『ニューソート―その系譜と現代的意義』マーチン・A. ラーソン、高橋 和夫・木村 清次・鳥田 恵・井出 啓一・越智 洋訳(日本教文社)
でも、このサイトでは、「引き寄せの法則」を宗教的とか、スピリチュアルみたいな感じで説明をするつもりはない。
あくまで、「現実的に考えても、ちゃんと効果が期待できるだろう」っつー話がしたいワケだ。
つまりは、「引き寄せの法則」を理解するうえでもアランの『幸福論』は必読、ってワケですか。
ぜひ、読んでいただきたい、モノであーる。
引用は集英社文庫の白井訳からシタけど、下のリンクの村井訳のが、文章がスゲー分かりやすいのでオススメやで。
サン=テグジュペリ著 『人間の土地』
愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ P243
『人間の土地』 サン=テグジュペリ著、堀口大學訳 新潮文庫
「大切なことは目に見えない」っつー感じの言葉が有名だが、別に「引き寄せの法則」のコトをイッてるワケじゃーない。
でも、じゃあなんで、この言葉を選んだのデスか?
つーか、この言葉って、愛し合う男女についての言葉なんじゃろか?
野郎同士の話だ。
じゃあ、同性愛的な話?
飛行機で墜落しちまったときにもう一人の乗り手だった男と砂漠をさまよった経験から得られた感想っつーか、意見っつーか、思想っつーか、そーゆー感じの話だ。
あっ!
ボクはイイコトを思いつきましたよ!
まぁ、どーせ、またロクでもない話なんだべ?
つまり、こーデスよ!
ボクに大好きな女の子がいたとしますよねぇ!
あはははっ!
ボクって天才かなぁ。
なんでデスか!
はぁ・・・。
それは一体、なんでじゃろかー。
まぁ、そーデスねぇ。
「そーウマくはイカない」ってイッてんの。
そーなの?
で、その後で「自分と同じ方を見てる相手を探す」ってのが、正しいプロセスだろうナ。
で、ボクはどっちの方向を見ているのでしょーか?
そーなのかしら・・・。
まちがいない。
そんなこんなで、次、イクぞ。
オマエが求めてるモノに関係あるかドーかは、知らんけどナ。
リチャード・バック著 『イリュージョン』
君達全ての者に告げる。
君達が遭遇する事件は全て
君達自らが招き寄せたものである。その事件の発展の方向を決めるのは
もちろん君達であって神ではない。 P151「俺は別に人々に感銘を与えるために生きてるわけじゃない。俺は俺のためだけに生きてるだけだ、第二に、おなじことは他の人にも言える、他の人もみんな好きなことを自由にやっていいんだ、第三に、責任ということもあるだろう、好きなことをやっていく場合の責任だ、誰に責任を負うのか?それはもう自分自身だ、つまりこうだ、それをまとめるとこうなる、俺は他の人が好きなように生きるのも認めるし、俺自身が好きなように生きるのも認める」P162
『イリュージョン』リチャード・バック著、村上龍訳 集英社文庫 1981
一つめの部分は、「引き寄せの法則」そのものって感じデスなぁ。
ニューエイジって、なんデスか?
ニューソートって、色んなモノを生み出してるんデスねぇ。
成功法則も、ポジティブシンキングも、ニューソートが元ネタだろうしナ。
で、ニューエイジの特徴は?
「引き寄せの法則」の本にもよく出てくる考えで、ニューソートの基本的な考え方だったよーな・・・。
で、1970年代も終わりの方になってくると、それまで盛り上がってた科学万能主義みたいな考えが、ちと行き詰まりを見せてきていたワケだ。
つーコトは逆に言うと、それまでは「科学技術が進んでイケば、あらゆる問題が解決される」みたいな期待があったってコトですな?
で、前からあったニューソートの考えに、そーゆー科学至上主義への揺り戻しで出てきた「自然に帰れ」みたいな考えを加えたのが、まぁ、ザクッと説明するとニューエイジ思想だっつー感じかな。
リチャード・バックの話に戻るけど・・・。
利己的な生き方を勧めてるみたいなトコロも、やっぱり「引き寄せの法則」と同じだと言える。
ただ、さっきもイッたけど、リチャード・バックなら『かもめのジョナサン』の方が有名なんじゃない?
そっちは、世界で4000万部も売れたそうな。
スゲー話だよな。
ちと引用してみよう。
「まず、自分はすでにもうそこに到達しているのだ、ということを知ることから始めなくてはならない・・・」P88
おぼえているかね、われわれの肉体は思考そのものであって、それ以外になにものでもないんだということを。P134
「もうきみにはわたしは必要じゃないんだよ。きみに必要なのは、毎日すこしずつ、自分が真の、無限なるフレッチャーであると発見しつづけることなのだ。そのフレッチャーがきみの教師だ。きみに必要なのは、その師の言葉を理解し、その命ずるところを行うことなのだ」P139
『かもめのジョナサン 完成版』リチャード・バック著、五木寛之訳 新潮文庫 2014
つーか、フレッチャーって誰やねん。
つまり、「自分自身の声に耳を傾けろ」っていうコトを教えられてるシーンってワケさ。
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