
ココがポイント
「望む状態をイメージする」のと「現実から逃げる」のは違う。
なんでしょーか?
オレって、ビッグな夢を見てんじゃん?
見てるトコじゃん?
そーなん?
だって、オレって、そのウツワじゃん?
だから、ある意味、そんな夢を叶えて当然じゃん?
それは、なんか知らんけど、色んな意味で「おめでたい話」デスねぇ。
まぁ、いまはその夢が実現しつつある途中なワケじゃないッスか。
スゲーことをヤッたって話はまだ聞いておりませんので、そーなんでしょうねぇ。
ゼンゼン興味ないけど。
「オレって、アタマ大丈夫かな?」って。
そりゃー、大丈夫じゃないでしょう。
つーか生まれてこの方、ゼンゼン大丈夫じゃなかったし、これからもそれは同じでしょう。
そーゆーオフザケはさておき、だ。
でっかい望みを追いかけてると、「そんなもん、ムリだろー」みたいな声は、周りから出てくるワケじゃん?
いわゆる、「ドリームキラー」ってヤツです。
とは言え、自分の中でも「オレって、デカいコトをイッてるだけで、ただのアタマおかしーヤツなんじゃないか」って気も、たまにシテくるんだよ。
一般的には、偉業を成し遂げたヒトが世間の強い批判を受けていた、って感じの事例はいくらでもあるわナ。
そこですよ、アナタ!
つまり、聞きたいのは、こーゆー話なんだよ。
「一体、偉大なコトをこれから成し遂げる予備軍のヤツらと、単純にアタマがおかしーヤツらとの境界線ってのは、ドコにあるんだろーか」ってコト。
なんか、ビミョーに不安な感じがするんデスよ。
それは案外、カンタンな話デスよ。
そーなん?
じゃあ、そこんトコ教えてくれや。
そんなの、お安い御用デスわ。
もくじ
典型的な狂人の例
さぁさぁ。
まずは、アタマがおかしーヒトの典型的な例について、考えてみよう。
どーゆー話デスか。
狂人の典型的なパターンとして、モノの本によく出てくるのが、「私はナポレオンだ」と主張する男だ。
ナポレオンって、ボナパルト?
でも、もちろん、そのヒトはナポレオンじゃないんスよねぇ?
ただの平凡なオッサンにすぎない。
要するに、現実の平々凡々たる自分という存在に耐えられず、「自分は英雄たるナポレオンである」とゆー妄想を持つに至ったってヤツだ。
完全にイッてもーてるやん。
でも、さぁ、逆に、だよ・・・?
「現実をまったく自分が都合のイイ感じじゃなく見てるヤツ」なんてのも、いないんじゃないの?
そんなコトができたのは、これまで、ガウタマ・シッダールタくらいだったのかもしれん。
それって、お釈迦様ってヤツ?
これまで、生まれて死んでいった何百億ものヒトの中で、たった一人とか、そんなレベルの話かよ。
例えば、だが・・・。
基本的には、「能力が低いヒトの方が、自分を高く見積もっている」らしいな。
ヒドいコト言いますね、アナタ。
一般的に言って、「能力が低いヒトの方が、うぬぼれが強い」って話だヨ。
イッてみりゃあ、「うぬぼてでもいないと、自我が保てない」ってコトなんだろう。
「自分を守るために、自然と、現実から軽く目をそらしがちになってる」ってコトか。
で、一方、ウツ状態のヒトってのは、うぬぼれの度合いが小さいという調査結果もある。
現実をそのままに受け取ると、ウツになりやすいんか?
狂人と常人の境界線
とりあえず、狂気ってモノが、どんな感じかは分かってきたぞよ。
それが「普通」だと思いますヨ。
ええ、ええ。
そーゆー普通のヒトと、狂人との境界線はドコにあるんだ?
生活が破綻するほどになったら狂人だ、と。
そんなん、付き合いきれませんわ。
なんつーか、色々とツラくて「追い詰められちゃった感」があるんスかねぇ。
結果として、脳がぶっ壊れちまっても、そりゃまぁ、しょーがないわなぁ。
「オマエ、そんな風になりたいのか?」ってさ。
まぁ、それはさておき・・・。
ここまでの話を前提にして、「引き寄せの法則」を使って望みを叶えるってコトと狂気との関係を考えてみようか。
望むものを見ることと現実から目を逸らすこと
こんな感じで、な。
目も言葉も思考も、目の前の現実に向けるのではなく、ひたすら欲しいもののほうへ向けなさい。欲しいもののことを考えて口にすればするほど、望みは迅速に実現するだろう。
『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著、吉田 利子訳 SBクリエイティブ、2007)P177
実際、こんな話も出てきますヨ。
頭を砂に突っ込んで無視して関心を払わないのは、「許容し可能にすること」とは違うだろうというが、この二つはあなたが考えるよりも近いかもしれない。
『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著、吉田 利子訳 SBクリエイティブ、2007)P226
つまり、「引き寄せの法則」の実践をしているヒトは、狂気のヒトですか?
なにが違うんだ?
「引き寄せの法則」の実践者は、望むモノに意識を払い続けようとするだろうが、それによって周りのヒトが考えるような普通の現実を否定しようとはしない。
だから、生活に支障が出たりはしないので、狂気のヒトではない。
でも、狂気のカケラみたいなモノは感じるんだが、気のせいか?
まぁ、ありもしないコトをイメージし続けるワケだから、ちょっとヤバい感じはあるわなぁ。
望む状態をイメージし続けるコトと現実を否定するってコトとは、やっぱりチガウとは言えるだろうナ。
うーん・・・。
まずは、両者ともに同じな部分について考えてみよう。
それは、そーだ。
つまり、イヤな気分で現実を強く否定すると、その否定したい現実が引き寄せられ、現状が続く結果になる。
そーだったな。
でも、実践者は「オマエはまだ何者でもない」と言われても、否定的な反応を示したりはしない。
相手に対して、そんな風に主張する必要は、必ずしもないケドね。
態度の決定的な違い
「なにがドー違うのか」を、もっとバッチリ分かりやすくイッてくだたい。
違っているのは、狂人がヤッてるのは「逃避」であり、「引き寄せの法則」の実践者がヤッてるのは「挑戦」だってコトだ。
「逃避」と「挑戦」の違い、ねぇ。
実際、あんま変わんないだろう。
狂人は、現実から逃げているし、逃げようとしているコトからも逃げている。
でも、現実がイヤだから「引き寄せの法則」を使いたいヒトってのは、いるでしょ?
それって、ドーなの?
「自分自身に似たモノを引き寄せる」ってのが、法則だからナ。
望むコトの方に意識を向けて、それが実現したときの楽しさを、それがまさにいま起きているコトのように感じて、味わうんだヨ。
それは知ってる。
それは、何回も聞いた。
逃げながら楽しむコトはできない。
ヒトは、「目をそらし、逃げてる自分」ってのが好きじゃあないからだ。
困難に、立ち向かってはいけない。
そーすると、困難が引き寄せられるコトになるからナ。
話としてビミョーなんじゃなくて、チカラの置きどころがビミョーだってコトよ。
だからこそ、多くのヒトが実践しているつもりで、結果がともなわないんだろう。
チカラの置きどころの「カギ」がどこにあるか、教えて進ぜよう。
カギのありか
教えてくだたい。
よかろう。
よろしかろう。
カギとゆーのは、だナ・・・。
つまり、リラックスだ。
リラックスぅ?
そして、無意識を活性化させるためには、リラックスが不可欠だ。
そーなんか。
アレは、リラックスするのが大事だからっつー話でもある。
なぜなら、逃げているという事実が、緊張を生むからだ。
そして当然のコトながら、自分が抱えている思いからは逃げられない。
逆に言えば、「何かを実現したいなら、逃げるような気持ちを持たない状態で、求めるコトが大事だ」ってコトか。
オマエも、なかなか分かってきたナ。
ただ、さぁ・・・。
しつこいようだけど、初めは、何かに対して「イヤだなぁ」と思うトコロから、何かを求めるってコトはあるよねぇ。
例えば、「カネがない」とか、何かイヤなコトに直面して、「じゃあ、自分が求めてるのは何なんだろう」って、その逆のコトをイメージするのは、スタート地点としては悪くないゾ。
そのときに、「カネがない」コトにこだわり、それを否定したり、立ち向かおうとしたりすれば、ウマくイカなくなる。
やっぱり、それが法則だ、と。
たまたまウマくイクってコトはないの?
それは法則に反する。
そして、そのセンサーが情報を収集してくれて、自分に対して自分の小ささが見事に証明されるコトになる。
リラックスとか、ポジティブな気分とかがあるかどーかを、いつも自分の心に確認するってぇーのが大事なんやな?
「自分で自分の心をケアしてやる」ってコト。
それが成功へのパスポートだ。
