対話

現実離れした夢を追いかける人と頭がおかしい人はどう違うか

 

ココがポイント

「望む状態をイメージする」のと「現実から逃げる」のは違う。


 

ぺんたか
センセーちゃん、はろー。
コンドーさん
おっすおっす。
ぺんたか
今日も今日とて、お聞きしたいコトがございます。
コンドーさん
へぇ。
なんでしょーか?
ぺんたか
あのさぁ・・・。
オレって、ビッグな夢を見てんじゃん?
見てるトコじゃん?
コンドーさん
知らねぇーけど。
そーなん?
ぺんたか
そーなんだYO!
だって、オレって、そのウツワじゃん?
だから、ある意味、そんな夢を叶えて当然じゃん?
コンドーさん
はぁ、そーなんスか。
それは、なんか知らんけど、色んな意味で「おめでたい話」デスねぇ。
ぺんたか
だけど、さぁ。
まぁ、いまはその夢が実現しつつある途中なワケじゃないッスか。
コンドーさん
はぁ、そーらしいデスねぇ。
スゲーことをヤッたって話はまだ聞いておりませんので、そーなんでしょうねぇ。
ゼンゼン興味ないけど。
ぺんたか
でもさぁ、実際、たまに思っちゃうんだよ。
「オレって、アタマ大丈夫かな?」って。
コンドーさん
は?
そりゃー、大丈夫じゃないでしょう。
つーか生まれてこの方、ゼンゼン大丈夫じゃなかったし、これからもそれは同じでしょう。
ぺんたか
いやいや。
そーゆーオフザケはさておき、だ。
でっかい望みを追いかけてると、「そんなもん、ムリだろー」みたいな声は、周りから出てくるワケじゃん?
コンドーさん
まぁ、基本、そーですね。
いわゆる、「ドリームキラー」ってヤツです。
ぺんたか
べつに、そんなヤツらの声なんて聞く気はないんだけど・・・。
とは言え、自分の中でも「オレって、デカいコトをイッてるだけで、ただのアタマおかしーヤツなんじゃないか」って気も、たまにシテくるんだよ。
コンドーさん
まぁ、オマエ個人としては、ただとにかくひたすらにアタマがおかしーダケなんだと思うけど・・・。
一般的には、偉業を成し遂げたヒトが世間の強い批判を受けていた、って感じの事例はいくらでもあるわナ。
ぺんたか
そこ!
そこですよ、アナタ!
つまり、聞きたいのは、こーゆー話なんだよ。
「一体、偉大なコトをこれから成し遂げる予備軍のヤツらと、単純にアタマがおかしーヤツらとの境界線ってのは、ドコにあるんだろーか」ってコト。
コンドーさん
まぁ、どっちも「現実ではないコト」にこだわってるって意味では、同じだもんナ。
ぺんたか
そーなんデスよ。
なんか、ビミョーに不安な感じがするんデスよ。
コンドーさん
まぁ、でも・・・。
それは案外、カンタンな話デスよ。
ぺんたか
え?
そーなん?
じゃあ、そこんトコ教えてくれや。
コンドーさん
あいあい。
そんなの、お安い御用デスわ。

 

 

典型的な狂人の例

ぺんたか
さて、おせーてもらいましょーか。
さぁさぁ。
コンドーさん
うむ。
まずは、アタマがおかしーヒトの典型的な例について、考えてみよう。
ぺんたか
なんデスか、それは。
どーゆー話デスか。
コンドーさん
えーとだな・・・。
狂人の典型的なパターンとして、モノの本によく出てくるのが、「私はナポレオンだ」と主張する男だ。
ぺんたか
え?
ナポレオンって、ボナパルト?
でも、もちろん、そのヒトはナポレオンじゃないんスよねぇ?
コンドーさん
もちろん。
ただの平凡なオッサンにすぎない。
ぺんたか
でも、本人は「オレはナポレオンだ」と、そうイッておられる、と。
コンドーさん
そーデス。
要するに、現実の平々凡々たる自分という存在に耐えられず、「自分は英雄たるナポレオンである」とゆー妄想を持つに至ったってヤツだ。
ぺんたか
それは、アカンなぁ。
完全にイッてもーてるやん。
コンドーさん
そんな風にして、現実から目をそらすとゆーコトの中には、狂気が含まれておるのであーる。
ぺんたか
ほぉほぉ。
でも、さぁ、逆に、だよ・・・?
「現実をまったく自分が都合のイイ感じじゃなく見てるヤツ」なんてのも、いないんじゃないの?
コンドーさん
ふむ。
ぺんたか
要するに、「ホントに現実のありのまま」を見てるヤツなんて、いねぇだろってコトさ。
コンドーさん
んまぁ、そーだな。
そんなコトができたのは、これまで、ガウタマ・シッダールタくらいだったのかもしれん。
ぺんたか
え?
それって、お釈迦様ってヤツ?
これまで、生まれて死んでいった何百億ものヒトの中で、たった一人とか、そんなレベルの話かよ。
コンドーさん
うむ。
例えば、だが・・・。
基本的には、「能力が低いヒトの方が、自分を高く見積もっている」らしいな。
ぺんたか
うわぁ。
ヒドいコト言いますね、アナタ。
コンドーさん
いや、実験で分かってるコトだから。
一般的に言って、「能力が低いヒトの方が、うぬぼれが強い」って話だヨ。
イッてみりゃあ、「うぬぼてでもいないと、自我が保てない」ってコトなんだろう。
ぺんたか
ふぅむ。
「自分を守るために、自然と、現実から軽く目をそらしがちになってる」ってコトか。
コンドーさん
せやで。
ぺんたか
まぁ、飲み屋で酔っ払って、「周りがバカばっかりだから、オレが言うコトを聞いて、負けてヤッてるんだよ」なんつって、合理化バリバリなクダを巻いてるオッサンなんかは、そのタグイでしょーかね。
コンドーさん
まぁ、そーカモな。
で、一方、ウツ状態のヒトってのは、うぬぼれの度合いが小さいという調査結果もある。
ぺんたか
ほえー。
現実をそのままに受け取ると、ウツになりやすいんか?
コンドーさん
あるいは、ウツ的な状態になると、うぬぼれを自分に許せなくなって、余計にツラくなるってコトなのかもしれないナ。

 

 

狂人と常人の境界線

ぺんたか
うーむ。
とりあえず、狂気ってモノが、どんな感じかは分かってきたぞよ。
コンドーさん
さよか。
ぺんたか
でもさぁ、ほとんどのヒトには、多少なりとも「うぬぼれによって現実から目をそらしてる」って部分があるんだろ?
コンドーさん
まぁ、そーでしょーなぁ。
それが「普通」だと思いますヨ。
ええ、ええ。
ぺんたか
じゃあ、聞くが・・・。
そーゆー普通のヒトと、狂人との境界線はドコにあるんだ?
コンドーさん
それはもちろん、「現実から目をそらしている度合いが、社会生活を営める程度で済んでるかどーか」ってコトになるナ。
ぺんたか
あーねあーね。
生活が破綻するほどになったら狂人だ、と。
コンドーさん
自分のコトをナポレオンだと思って、周りにも「オレをナポレオンとして扱え!」と要求するヒトは、社会生活に支障をきたすだろう。
ぺんたか
そりゃそーだ。
そんなん、付き合いきれませんわ。
コンドーさん
当たり前だが、そこまでイッちまうと、狂っちまってるっちゅー判定を食らうコトになるワケだ。
ぺんたか
んー。
なんつーか、色々とツラくて「追い詰められちゃった感」があるんスかねぇ。
コンドーさん
まぁ、そーゆーヒトも、モチロンいるだろうナ。
ぺんたか
そーじゃない感じのヒトもいる、ってこと?
コンドーさん
例えば、薬物とかで、単純にアタマが壊れちゃった、みたいなヒトもいるからさぁ。
ぺんたか
あーねあーね。
コンドーさん
薬物を乱用すると、その影響で、脳内物質がありえない感じで出たり流れちゃったりするんで、なぁ。
結果として、脳がぶっ壊れちまっても、そりゃまぁ、しょーがないわなぁ。
ぺんたか
若人とかには、「薬物は怖い」なんてゆーボンヤリした話じゃなくて、「ヤッたら、脳がぶっ壊れてアホになる」とかって感じで教えた方が、イイのかもしれませんねぇ。
コンドーさん
「完全にアタマがイッちゃったヤツになっちゃうゾ」みたいにナ。
「オマエ、そんな風になりたいのか?」ってさ。
ぺんたか
そんな風にした方が、ガキが安易にヤッちゃう率は減るカモしれませんねぇ。
コンドーさん
うむ。
まぁ、それはさておき・・・。
ここまでの話を前提にして、「引き寄せの法則」を使って望みを叶えるってコトと狂気との関係を考えてみようか。

 

 

望むものを見ることと現実から目を逸らすこと

ぺんたか
「引き寄せの法則」では、「ひたすらに望むモノに意識を向けろ」って言われてますよねぇ。
コンドーさん
せやな。
こんな感じで、な。

 

目も言葉も思考も、目の前の現実に向けるのではなく、ひたすら欲しいもののほうへ向けなさい。欲しいもののことを考えて口にすればするほど、望みは迅速に実現するだろう。

 『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著、吉田 利子訳 SBクリエイティブ、2007)P177

 

ぺんたか
これって、ある意味では「現実から目をそらしてる」ってコトになりませんか?
コンドーさん
まぁ、なりますネ。
実際、こんな話も出てきますヨ。

 

頭を砂に突っ込んで無視して関心を払わないのは、「許容し可能にすること」とは違うだろうというが、この二つはあなたが考えるよりも近いかもしれない。

 『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著、吉田 利子訳 SBクリエイティブ、2007)P226

 

ぺんたか
じゃあ、アレですか・・・。
つまり、「引き寄せの法則」の実践をしているヒトは、狂気のヒトですか?
コンドーさん
そりゃ、まぁ、ゼンゼン違うでしょうねぇ。
ぺんたか
そーなんかよ。
なにが違うんだ?
コンドーさん
マジで答えるとするなら、さっきの話から、こーなる・・・。

「引き寄せの法則」の実践者は、望むモノに意識を払い続けようとするだろうが、それによって周りのヒトが考えるような普通の現実を否定しようとはしない。
だから、生活に支障が出たりはしないので、狂気のヒトではない。

ぺんたか
んー、まぁ、そりゃそーか。
でも、狂気のカケラみたいなモノは感じるんだが、気のせいか?
コンドーさん
んー。
まぁ、ありもしないコトをイメージし続けるワケだから、ちょっとヤバい感じはあるわなぁ。
ぺんたか
だべ?
コンドーさん
ただね・・・。
望む状態をイメージし続けるコトと現実を否定するってコトとは、やっぱりチガウとは言えるだろうナ。
ぺんたか
ん?
うーん・・・。
コンドーさん
もうちょっと、くわしく見ていこうか。
まずは、両者ともに同じな部分について考えてみよう。
ぺんたか
ふむ。
コンドーさん
まずもって、狂気のヒトも「引き寄せの法則」の実践者も、「現実とは違うモノを求めている」って意味では同じだネ。
ぺんたか
うん。
それは、そーだ。
コンドーさん
ただし、狂人は自分がナポレオンでないという事実を否定しようとしているケド、実践者はまだ自分が成功していないってコトを否定したいワケじゃない。
ぺんたか
なぜ、否定しないかと言えば・・・?
コンドーさん
だって、否定するってコトは、「成功できてない」ってコトを強く意識するコトだからサ。
ぺんたか
そんなコトをしたら、まさにそのものが引き寄せられてくる?
コンドーさん
そのとおり。
つまり、イヤな気分で現実を強く否定すると、その否定したい現実が引き寄せられ、現状が続く結果になる。
ぺんたか
にゃるほど。
そーだったな。
コンドーさん
狂人は「オマエはナポレオンじゃない」と言われたら、混乱したり怒ったりするだろう。
でも、実践者は「オマエはまだ何者でもない」と言われても、否定的な反応を示したりはしない。
ぺんたか
じゃあ、ドー反応すべきなんだ?
コンドーさん
まぁ、正解としては、「けれども、いずれ、そーなるのが当然だ」と思うって感じになるだろうかナ。
相手に対して、そんな風に主張する必要は、必ずしもないケドね。

 

 

態度の決定的な違い

ぺんたか
まぁ、ザクッとは分かったけど・・・。
「なにがドー違うのか」を、もっとバッチリ分かりやすくイッてくだたい。
コンドーさん
うむ。
違っているのは、狂人がヤッてるのは「逃避」であり、「引き寄せの法則」の実践者がヤッてるのは「挑戦」だってコトだ。
ぺんたか
ふぅむ。
「逃避」と「挑戦」の違い、ねぇ。
コンドーさん
せやで。
ぺんたか
まぁ、イッてるコトは分かるが、スゲー微妙な話のよーな気もする。
コンドーさん
まぁ、見た目はナ。
実際、あんま変わんないだろう。
ぺんたか
やっぱ、なんかアブナイ感じがするなぁ。
コンドーさん
心の中では、まったく違うだろうサ。
狂人は、現実から逃げているし、逃げようとしているコトからも逃げている。
ぺんたか
ふむ。
でも、現実がイヤだから「引き寄せの法則」を使いたいヒトってのは、いるでしょ?
それって、ドーなの?
コンドーさん
イヤなコトをイメージしながら、望むモノを引き寄せるコトはできないゾ?
「自分自身に似たモノを引き寄せる」ってのが、法則だからナ。
ぺんたか
じゃあ、どんな風に考え、感じるべきなんだ?
コンドーさん
そりゃ、アンタ。
望むコトの方に意識を向けて、それが実現したときの楽しさを、それがまさにいま起きているコトのように感じて、味わうんだヨ。
ぺんたか
うん。
それは知ってる。
それは、何回も聞いた。
コンドーさん
「引き寄せの法則」の実践者は、楽しんでるんであって、逃げてるワケじゃない。
逃げながら楽しむコトはできない。
ヒトは、「目をそらし、逃げてる自分」ってのが好きじゃあないからだ。
ぺんたか
でも、立ち向かうのも違うんだろ?
コンドーさん
そのとおり。
困難に、立ち向かってはいけない。
そーすると、困難が引き寄せられるコトになるからナ。
ぺんたか
なんか、すんごくビミョーだな。
話としてビミョーなんじゃなくて、チカラの置きどころがビミョーだってコトよ。
コンドーさん
まぁ、そーだな。
だからこそ、多くのヒトが実践しているつもりで、結果がともなわないんだろう。
ぺんたか
むむむむ。
コンドーさん
せっかく、ここまで話したので・・・。
チカラの置きどころの「カギ」がどこにあるか、教えて進ぜよう。

 

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