ココがポイント
心の構造を知って、望みが叶えられるための条件をクリアする。
教えられたとおりにヤッたけど、ゼンゼン実現しねぇゾ。
ドーしてくれんだよ、テメー。
そりゃー、アンタ、ありえへん話デスよ。
「引き寄せの法則」について説明された本では、多くの場合、「どんな望みでも叶う」とされています。
このことは、半分正しく、半分は嘘です。
半分嘘だと書いたのは、どんなことでもただ望みを持って「引き寄せの法則」の方法を実践しさえすれば、必ず叶うというわけではないからです。
「地球を二つにしたい」だとか「すべての人間に好かれたい」と紙に書いて貼っておき、毎日読み上げ、実現したときのワクワク感を抱き続けたとしましょう。
「こうしていれば、しばらくすると必ず現実化する」ということには、当然なりません。
結局のところ、「叶えられる願望には、ある条件が必要だ」ということです。
別の言い方をするなら、「望みの中にも、ある条件を満たしていないことで、叶えられるはずのものになっていない場合がある」ということです。
そして、この文章のはじめに「どんな望みでも叶う」というのが「半分正しい」と書いたのは、条件が満たされてさえいれば、どんなものでも実現されるからです。
テメェー、それを早く言えよ。
「慌てる乞食は貰いが少ない」と、申しますじゃろ?
もくじ
願望成就のカギ
詳しく説明していきましょう。
願望成就のカギは、自分の「腑に落ちているもの」であるという点です。
つまり、自分にとってしっくりくる感じの望みでなければ、いつまでたっても叶わないのです。
逆に言うとすれば、「引き寄せの法則」の方法を実践することは、「望みを自分にマッチしたものにするためのもの」と言えます。
実践の方法として、アファメーションやビジュアライゼーションがあることは、すでに説明したとおりです。
これらの手法は、願望を自分にマッチさせるための道具だということになります。
つまり宣言したりイメージしたりしていると、だんだんと「それが実現するのが当然だ」とか「自分にふさわしいことだ」と思えるようになる、という話です。
けれども、アファメーションやビジュアライゼーションによって、どんな願望でも自分の腑に落ちるものに変えることができるかと言えば、まったくそうではありません。
例えば、「地球を二つにしたい」という願いについて考えてみましょう。
この願望もまた、そのことが自分にとって本当に価値のあることであって、かつ、実現して当然なことのように思えなければ、決して実現しません。
そして、「地球は当然、二つになるべき」という思いを確信する人間は、実際にはいないと考えられるわけです。
だから、結論としては「そんなことは実現しない」ということになります。
要するに、すべては「エス(無意識)が同意するかどうか」ということに掛かっているのであって、それはエゴ(意識)の自由にできるようなものではないのです。
ピンと来たり、しっくり来たりしないと、望みは叶えられないのかぁ。
ワカルかなぁ?
自我の構造(エゴ、スーパーエゴ、エス)
ここで、自我の構造について説明をしておきましょう。
自我というのは、周囲のものや他人から区別されているもので、意識を持ったり行為をする主体としての自分自身のことです。
そういう人間の自我は、三つの要素からなっていると捉えることができます。
要素はそれぞれ、エゴ、スーパーエゴ、エスと呼ばれるものです。
まずエゴというのは、意識的な自己のことです。
つまり、いつも考えを巡らせているのは、このエゴです。
もちろん、いまこの文章を読んでいるのも、あなたのエゴ(=意識)です。
なお、通常はエゴと言うと「自分の利益だけを考えること」と解釈されますが、ここでは、単に意識的に働く主体のことを指しています。
次にスーパーエゴですが、これは社会的な規範についての働きをする部分の自我のことです。
世の中にある決まりごとが内面化したもの、ということです。
つまり、「盗んではならない」「暴力を振るってはならない」というようなルールを、エゴに命令しているのがスーパーエゴです。
そして最後のエスは、感情や欲望のもとになる無意識的な働きを言います。
感情や欲望は、エゴ(=意識)が気づいたときには、すでにそこにあるものです。
しかも気づかずに抱いていて、いつの間にか、それに引きずられていることさえあります。
そういうエネルギーのようなものが渦巻いている場所がエスである、というわけです。
少し難しいと思うかもしれませんので、エスについては、もっと直感的な説明をしておきましょう。
エスというのは、「自分の本心」のことだと考えておいてください。
次の記事から詳しく説明して行きますが、エスの本当の姿を探るのが、大切なポイントになってきます。
さて、エゴ、スーパーエゴ、エスというこれら三つのものは、日常的にはどんな風に働いているでしょうか。
人間はエスが求めるものを、スーパーエゴの監視を受けつつ、エゴが損得を考えて、色々な決定をしています。
欲望が生まれるところがエスですが、欲望の赴くままに行動すると問題になるのでスーパーエゴが意見をしてきます。
その意見を参考にしつつ、プラスマイナスを考えて、実際にどうするのかを決めるのがエゴです。
以上が、基本的な自我の構造です。
なんだこのワケワカラン説明は!
望みを叶えるためのキーポイントになるのが「エス」なもんで、しょーがなく説明してますのんよ。
とりあえず、意識と無意識と規範意識があるってトコだけ覚えておいてー。
願望の実現を阻むもの
肝心の「願望を実現するためのカギ」は、エスにあると言えます。
実際、望みが叶わない理由は、エゴが「イエス」と言っていても、エスが「ノー」と言い続けているからなのです。
つまり、エゴの意識的な「損得勘定」とエスが生み出す「自分の本心」がマッチしていないということです。
そして、アファメーションやビジュアライゼーションは、「ノー」と言っていたエスを「イエス」と言わせるためのテクニックだ、ということになるわけです。
そうは言っても、どんなことでも「イエス」と言わせるほどの力はありません。
ここが、重要なポイントです。
多くの人が、自分のエスが何を求めているのかについて鈍感になりすぎています。
そのため、ただエゴが判断する願望を、「本当に自分がしたいこと」であるかのように感じているわけです。
例えば、文章で自分を表現することに喜びを感じるような「自分の本心」ではないのに、文学賞を取ったら名声も富も得られるだろうと「損得勘定」をして、小説を書く人などは、まさにこの状態です。
もちろん、こういう状態では成功などしませんし、単に文学賞を取るということを成し遂げても、結局は文章を書き続けることが苦痛になって不幸になります。
そのため、やはり本当の成功とは言えないわけです。
また、価値観が必ずしも完全に一致することなどありえない中でも、一緒に生活を作り上げていくことに喜びを見いだせる「自分の本心」としての感触もないままに、結婚さえすれば安定するし、相手が一生支えてくれるのだろうという「損得勘定」をして、何が何でも結婚しようとする人なども、エスとエゴがずれている状態です。
言うまでもなく、こういう状態では遅かれ早かれ相手への期待ばかりがふくらんで、互いにいがみ合うような痛ましい事態に陥ってしまうわけです。
結局のところ、不成功の前提としてまずあるのが、「エゴとエスがそれぞれに抱いている願望が、まったく一致していない」ということです。
本当はエゴにできるのは、「まだ把握できていなかったエスの望みに気づく」ということがせいぜいなのです。
そして何度も言うとおり、エゴの望みをエスに無理矢理に押し付けることはできないのです。
例えば、やりたくない仕事を、意識のうえだけで「食っていくためには必要だ」として考えて、エゴがムリヤリに自分にやらせようとすると苦しくなります。
それは、自分の中のエスが同意していないからです。
実際、こういう風な苦しさは、ほとんどの人が経験していることでしょう。
そのため人がそれをやっているところを見せられると、ほとんど必ず気分を害することになります。
つまり、エゴが無理にエスを屈服させようとしているさまを見ると、人は無意識的、自動的に不快に感じるわけです。
結局のところ、自分の中でもギクシャクしますし、周囲の協力も得られることがなく、願みを叶えることはままならないような状態になってしまうわけです。
作家志望と結婚願望のたとえ話が、なんかエグいぞ。
ただ実際、こんな感じに「エゴが持つイメージ」に引きづられて、ダメな方にガンガン進んじゃうヒトって、メチャクチャたくさんいるんだよなぁ。
成功の扉を開く方法
仮にエゴとエスの望みが一致したとすると、多くのことがスムーズに進み、周囲の強力も自然と得られることになります。
自分の本心と行動がマッチしているときには、自分の心も穏やかですし、その姿を見た周囲の人も清々しい気分になるからです。
とは言え実際には、単に「願望を成就させる」と言うと、ほとんどの人がエゴの望みを叶えることと勘違いしてしまいます。
けれども実際には、エスの望みしか実現されないのです。
なぜなら、エスが同意していない望みには、必要なパワーが欠けているからです。
本心では同意していない望みに、力などあるはずもないのです。
もちろん、お茶を飲むといった程度のことならば、頭で考えたことでも実現できます。
しかし多くの人が強く思うような「叶えたい望み」というのは、そういう小さなものではないでしょう。
つまり、ある程度以上の大きな望みには、エスの同意が不可欠だということです。
別の言い方をするなら、「大願成就への道」というのは、「エスの気持ちを問い尋ねる旅」だということです。
エスが望むものをエゴが探り出し、両者が手を結んだときに、成功への扉が開かれるのです。
そして、そのための具体的な手段が、アファメーションやビジュアライゼーションだということになります。
ここに至って、「アファメーションやビジュアライゼーションをやってみたけれども、なぜか続かない」という、とても多く見られる失敗の理由が分かることになります。
それはつまり、どんなにエゴが訴えかけをしても、エスの側では「少なくとも現時点では、どうあっても、その望みはノーだ」と答えているということなのです。
ですから、失敗したということになるわけです。
すでに例として示したように、文章で表現することを楽しく思わないのに文学賞を欲しがったり、他人と生活を作っていくことに喜びを感じないのに結婚しようとしたりする、ということです。
ただしそういう状況は、「失敗ではあっても、ただの失敗ではない」とも言えることになります。
「エゴが決めた願望が実現しなかった」という意味では失敗ですが、「それがエスの望みではないことが分かった」という意味では成功だ、と言えるからです。
実際には、ほとんどの人がエゴの願望を実現するために「引き寄せの法則」を使おうとして、エスの反対にあい「実現しなかった」と思います。
そうして、「引き寄せの法則」など嘘だったと、そう考えるわけです。
願いが叶えられることが決まる瞬間
これまでも説明してきたとおり、「引き寄せの法則」では、「ビジュアライゼーションの際には、願望を明確にイメージせよ」ということが主張されます。
けれども、その「明確」ということの意味は、ディティールまで想起できるというような意味合いではありません。
なぜなら、まだ現実になっていないものについて細かい部分まで思い描こうとすることは、問題を生み出すからです。
つまり、いま自分では知らない、まだ分からない部分が出てきて、それによってマイナスの感情が生み出されることが少なくないということです。
そうではなく本当は、自分にふさわしく、マッチしているという点で「明確」なイメージを思い描け、ということなのです。
ビジュアライゼーションにおいては、欲しいものがすでに手に入ったとイメージすることも勧められています。
それは、「自分にしっくりくるものであるかどうか」を確かめるためのレッスンであるということになります。
なおかつ、「自分はその理想とするものに値する存在であること」を自分に教えるための訓練でもあるのです。
このように考えると、何かをイメージしたからといって、すぐに実現するのは稀だろうということが分かります。
完全に自分にふさわしいような、心の底から納得できる感じのイメージを簡単に思い描くことができる人は、なかなかいないからです。
実際には、自分の自分に対するイメージをアップさせつつ、自分の本当の好みを探りながら、木や石の固まりから像を彫り上げるようにして求めていく必要があるのです。
それは取りも直さず、自分自身のエスの声を聞き、その望みをしっかりとつかみ取ることであるわけです。
エスの願望が見つかり、そのことにエゴが気づいたとき、願いは実現します。
ぜひ、エスの声に耳をそばだてるという考えのもとで、アファメーションやビジュアライゼーションといった方法を実践してみてください。
そうして、自分の中にある偽物の願望を取り除き、本当の望みに気づいてあげてください。
おそらく、この話を読んでも、すぐにピンと来る人は少ないだろうと思います。
ひとまずは、自分のエゴ(意識)ばかりが幅を利かせて、エス(無意識)の望みを聞いてやれていない状態があるということを知っておいてください。
そして、望みを叶えるためには、その問題を解決する必要があるということを、頭の片隅に置いておいてください。
とりあえず、話として聞いておいてくだたい。
【関連書籍】
⇒ 楽天
⇒ アマゾン
⇒ ヤフーショッピング
次の記事は、コチラです。
始めから読む方は、コチラ。
会員になったら、限定記事が読めちゃうYO!