ココがポイント
人を許すのは、自分が思うままに生きるのを許すため。
やさしく訳したバージョンの『超訳』って本では、「ありのままを受け入れる」ってなってるんよナ。
まぁ、これはこれで「技」って感じの側面が抜け落ちちゃってる風ではあるけど。
「引き寄せの法則」については様々な人が、そういう法則があるのだと主張して本を書いています。
そして、なかでもエスター・ヒックスとジェリー・ヒックスの夫妻は、多くの人に影響を与えている代表的な存在です。
ヒックス夫妻版の「引き寄せの法則」では、「許容し可能にする術」がとても大事なポイントとして説明されています。
「許容し可能にする術」は、この地球と地球上の種さらにはこの宇宙自体の存続あるいは生存にどうしても欠かせない P205
なお、この記事の引用はすべて『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス、吉田 利子訳(SBクリエイティブ)からのものです。
ちなみに、「許容し可能にする術」は、「The Art of Allowing」の訳です。
「許容し可能にする術」とは何かと言えば、その説明として次のようなことが書かれています。
「許容し可能にする術」というのは、「わたしがありのままのわたしで、他者がありのままの他者であることを許容し、可能にしよう」ということだ。P58
わたしはわたしであり、わたしはありのままの自分に喜びを感じて、楽しんでいる。あなたはあなたであり、たぶんわたしとは違うだろうが、それもそれでよろしい。P205
この文章から考えると、「許容し可能にする術」というのは、「それぞれの人間がありのまままであることを許し認めるやり方」ということになると思われます。
けれども、なぜこれが重要なポイントなのでしょうか。
その点について、説明していきます。
アリのままのペンギンか。
でもボクは、アリじゃなくてペンギンなんだよぉおおおおお。
もくじ
「内なる存在」とは
「許容し可能にする術」については、次のような説明もなされています。
「許容し可能にする術」とは、自分と「内なる存在」とのつながりを維持し続けられる物事の見方を探す術だ。P206
ここで登場している「内なる存在」というのは、「Inner Being」の訳であり、ヒックス夫妻独自の用語です。
また、この言葉は人間が繰り返し生まれて死ぬという「輪廻」を認める考えから生まれたものです。
「内なる存在」を別の言葉で表現すると「ハイヤーセルフ」「魂」「ソースエネルギー」になると、本の中では説明されています。
ヒックス夫妻の書いた複数の著作からより具体的な意味を探ると、「内なる存在」とは、「何度も生まれ変わり生きてきた人生で多くの経験を重ねてきた永続する魂」というような意味のようです。
つまり、輪廻を重ねるごとに知恵を培ってきた「その人の本質的な部分」というようなことでしょう。
「内なる存在」は誰の心にもあって、快や不快の感情が生み出されるのは、そこに原因があるのだと説明されています。
つまり、自分が考えていることと「内なる存在」が望むものが同じ場合には快い感情になりますし、逆の場合には不快になるということです。
例えば、「自分はダメな奴だ」と思えばよい気分にはなれませんし、逆に誇らしく思えば気分は上がるでしょう。
こういう感情の動きは、「自分が意識的に考えたことに対して「内なる存在」が賛成しているか反対しているかを表現したもの」と、ヒックス夫妻は考えているわけです。
また「許容し可能にする術」は、「内なる存在」が求めているものの重要なポイントだということにもなります。
進化の結果としての「内なる存在」
当サイトの方針に従って現実的に見るとするなら、「内なる存在」というのは無意識のことだと解釈できます。
まずもって、快や不快の感情を生み出すもとになっているのが無意識です。
そして、何が無意識の性格を決めているかと言えば、進化の過程で「どういうものを好めば、より生き延びられるか」ということであるわけです。
例えば、人間の味覚は脂質が30%以上になると、その食べ物をおいしいと感じると言われています。
人間が生きてきたほとんどの期間、現在のように食べ物が簡単には得られませんでした。
そんな状況で生き残っていくためには、体にエネルギーを貯えておくことが必要だったわけです。
そのため、体に脂肪を溜め込むことができるような「油が多く含まれている食べ物」を、「おいしい」と感じる種類の人間が生き延びてきたのです。
もちろん、油が多い食べ物を好む人間も好まない人間も生まれてきたわけですが、そのうちの油が好きな人間だけが主に生き残ってきたということです。
もっと直接的な例で言うとすれば、セックスが気持ちいいのは、そうでなくては子孫を残せないからということになります。
逆に言うならば、セックスをしても特に気持ちがよくないという性質を持って生まれた種類の人間は、すでに滅びているということです。
このように「何を心地よいと思うか」は、進化の過程における選択によって決められたものと言えます。
そして、ヒックス夫妻は、進化の結果として得られた傾向を「内なる存在」と呼んでいると考えられるわけです。
アホの人間どもは、なぁー。
本能っつーか、無意識になぁー。
無意識にとっての「許容し可能にする術」
当サイトでは、「引き寄せの法則」は、無意識を活用した願望実現の方法のことだと考えています。
ですから、まずは「許容し可能にする術」が無意識にとってどういう意味を持つのかについて見ていきます。
この点については、逆の状態、つまり「許容し可能にすることができていない場合」を考えれば、色々と明らかになってきます。
許容し可能にすることができていない状態というのは、つまり「人のことを認められない状態」のことです。
つまり、誰かに対して「あなたは間違っている」と考えるようなあり方ことです。
では、人のことを「間違っている」と思った場合には、何が起こるのでしょうか。
まず、誰かのことを「あなたは間違っている」と考えたときには、たとえそれを声や態度に出したつもりがなくても、そのことが相手に伝わります。
ただし、多くの場合、相手はそのことを意識するわけではありません。
つまり、「この人はわたしのことをダメだと考えているな」と意識するわけではないのです。
ただ無意識的に、心に抱いた「反感」を相手が感じ取るということです。
しかし、そういうメッセージを受け取った側からすると、言ってみれば、「自分の権利が侵害された」と感じることになります。
ですから自然と、対抗する気持ちが生まれてきます。
簡単に言うなら、「そんなことは私の勝手だ、放っておけ」という話です。
同時に、批判をした側に対しても逆に、何らかの批判をしたいという構えが出てきます。
つまり、「批判する者は、批判される」ということです。
このような情報のやり取りが、意識されないままに起こるわけです。
そりゃもう、必ずデス。
ええ、ええ。
でも、だいたいのヒトの心も、まぁ、そんなもんデス。
許容し可能にしないことの応酬
相手を認められないと感じた側、つまり否定的な態度をしてしまった側でも、心理的な変化が生じます。
つまり、「相手を非難したのだから、自分が誰かから非難されることもあるということも受け入れざるを得ない」という思いが生じるわけです。
もちろん、この点についても多くの場合は、変化は無意識的なものです。
結局、「この人は間違っている」と思うことは「人を認められない」ということであって、それは「自分も誰かにとっては間違っている」というイメージを連れてくるということです。
そして、「きっと人から認められない自分もいるのだろう」という無意識的な認識につながることになってきます。
同時に、人のことにとやかく言うということは、「自分は無力だ」と自分に告げていることになります。
なぜなら、それは「相手が自分の思うとおりに行動してくれないと、自分は幸せな気持ちになれない」ということを自分自身に言っていると同じだからです。
つまり、自分の幸せは相手次第であって、自分はそれほど強くないと自分に言っているのと同じことになるわけです。
そして、「人から認められないかもしれない」「自分は無力だ」といったこれらの考えは、自分の能力にブレーキを掛けます。
自分の心の中で、気後れのようなものが生じるからです。
そもそも人のことを認められない気持ちは、「相手のすることを邪魔したい」という思いを含んでいます。
けれども、その考えはすでに書いたように、無意識的な反感を周囲に抱かせます。
要するに、邪魔したいという思いが、周囲に邪魔したい人たちを引き寄せているということです。
人を認めない心は、周囲に自分を認めてくれない人を集める結果につながるのです。
「許容し可能にする術」のニュアンス
結局のところ、「許容し可能にする術」と逆の状態は、周囲に自分を認めてくれない人々を引き寄せ、自分でも「自分を認めてくれない人がいる」「自分は無力だ」という刷り込みを無意識にしてしまうことになるわけです。
そして、これと逆の状態に移るための方法が「許容し可能にする術」であり、そこに到達した様が、ヒックス夫妻が望ましいとする「許容し可能にする状態」です。
つまり、「許容し可能にする術」とは、「人がありのままであること許す」ことであって、そのことは自分がありのままであることを自分に許し、周囲にも自分を許す人たちを引き寄せることになるわけです。
自分がありのままであることを自分に許すとき、自分の中の能力が十二分に発揮される準備ができます。
また、周囲に人のことを許す人が集まるとき、あなたの願望を邪魔するものがいなくなり、願望がスムーズに実現することになるのです。
ただし、「人を許す」というと、「どんなことをされても、大きな心を持って受け入れる」という風に考えがちですが、「許容し可能にする術」は違っています。
「許容し可能にする術」は、「気に入らないことがあってもそこに意識を集中させず、自分が見たいと思うことだけに目を向ける」ということを意味しています。
受け入れるというよりは、「気に入らない点については、意識を向けない」と言った方が近いだろうと思います。
単に、見ないようにするわけです。
つまり、ただの「博愛主義」ではないということです。
「無視する」っつーと「意地悪く」って感じもあるけど、「まぁ、イイんじゃねぇの?」っつぅーよーに「受け流す」って感じかねぇ。
意識を向けるべきもの
この世の中は、多様性の海です。
様々人がいて、様々なものを好いて、様々なものを嫌い、様々に生きています。
あなたにも、好きな人もいれば、嫌いな人もいるでしょう。
好きな言動もあれば、嫌いな言動もあるに違いありません。
同じように、あなたのことを好きな人もいるし、嫌いな人もいます。
あなたの言動についても、当然、それぞれが好いたり嫌ったりしているわけです。
そういう状況の中で、どこに目を向け、何に意識を集中させるのかが問われていることになります。
気に入らない点に意識を向ければ、あなたの力は奪われ、あなたを認めない人が集まってきます。
逆に、自分にマッチしたものだけに目を向けるのなら、自らの能力が拡張され、協力的な人たちが周りに集まることになります。
それが分かったうえで、自分は一体何に意識を向けたいのか、そのことをまず考えるべきだということが、「許容し可能にする術」の教えということになるでしょう。
利己的に許すということ
「人を許す」というと、「まず第一に人のことを考え、利他的になる」ということのように思う人もいるかもしれません。
けれども、「許容し可能にする術」というのは、その逆のことです。
「許容し可能にする術」は極めて利己的とさえ言えるもので、本当は、ただただ自分のためにこそマスターすべきものなのです。
なぜかと言えば、人がありのままであることを許すことによってしか、自分を許すことができないような心理があるからです。
人のことはとやかく言うけれども、自分のことは甘く見るというのが、人間がやりがちなことです。
けれどもそういう状態では、たとえ意識に上らなくても、自分の中に「私は間違っている」という思いが生み出されます。
すると、その考えが自分にブレーキを掛けることになって、望みを叶えようとするときにも十分に力が発揮されなくなってしまうのです。
結局のところ、自分は誰かに「あなたのそこが気に入らない」と言われたくはないのに、誰かに対してはそれをやるというのは、問題だという話です。
自分では意識していなくても、無意識的にそのおかしさは必ず自分に理解されているということです。
だから、自分が得になるためにこそ、人の気に入らない部分になど意識を向けるべきではないということになるわけです。
ヒックス夫妻版の「引き寄せの法則」って、あくまでジコチューなんだよね。
「それ以外の生き方はあり得ない」(P120)とまで言ってるんヨ。
目指すべき世界
では、もしすべての人が「許容し可能にする術」を十分に習得し実践したら、世界はどうなるのでしょうか。
その点についてですが、「自己中心的にすべての存在が望むことを実現させたら、世界は混乱するのではないか」という問いに対して、次のような答えが書かれています。
人は「引き寄せの法則」を通じて自分の意図に調和した人たちを引き寄せる。そうすれば世界はとてもバランスのとれた場所になる。P123
もし、すべての人が自分の思うとおりに行動をして、けれども誰の邪魔にもならずに、しかも足りないものなどなく、全部の望みが叶えられるとしたら、それはまさに理想的な状態と言えるでしょう。
そして、本当にそうなるのだとしたら、それは喜ばしいことだと、多くの人が思うのではないでしょうか。
その喜ばしいという感情こそは、「内なる存在」の声であって、「それに従って行け」というのが「引き寄せの法則」の教えだということになります。
つまり、そういう世界を志向し実現させることにつながっているのが、「許容し可能にする術」なのです。
でも、もし「そうなったらイイじゃん?」って思うなら、「ゼヒとも、そこを志向しようぜ」って話になるよネ。
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