「引き寄せの法則」研究所

書評・レビュー:『ザ・マスター・キー』チャールズ・F・ハアネル、菅 靖彦訳(河出書房新社)

チャールズ・F・ハアネルによる1917年の著作です。

「引き寄せの法則」の火付け役となったロンダ・バーンによる『ザ・シークレット』においても多数引用されている、まさに原典とも言えるものとなっています。

当初は通常の書籍の形でなく、24週に渡る通信教育のスタイルで読者に届けられたものとのことです。

なお、以後の引用については、特別に記してある以外、ザ・マスター・キー』チャールズ・F・ハアネル、菅 靖彦訳(河出書房新社、2007)によっています。

 

「はじめに」の章について

望みを実現する鍵は精神にあるため、思考を肯定的なものに変えることで自らがエネルギーに満たされて成功のチャンスが見えるようになり、同時にそのような思考は周囲の人にも広がるのだと主張されています。

これは、「引き寄せの法則」の考え方の基本的な内容を示したものと言えるでしょう。

また本書が、マインド・パワーの使い方を伝授するものであることが示されています。

成功のためのマスター・キーがあると言われれば、「それさえ身につければ、どんな扉も開かれる」と想像されるため、多くの人が心の中に肯定的な感情が呼び起こされるのを味わうことになるでしょう。

ここでは、それ自体が一つの仕掛けとして働いています。

つまり、そのようにして願望実現のための鍵があるのだと告げ、望みが叶えられるような良い気分を味わわせれば、無意識がその答えを探し始めることになるということです。

当研究所の研究から、我々はすでに、イメージと感情をセットにして活性化させることで、イメージされたものを実現させる動きが生じることを知っています。

要するにハアネルは、そうした働きを教えようとする「はじめに」という文章の中ですでに、まさにこの方法を使っている訳です。

 

「第1週 すべてのパワーは内側からやってくる」について

この章では、外の世界は内面世界が反映したものであることや、そのため思考がものごとが発生する原因となることなどが主張されています。

また、内面世界との関わりは潜在意識を通してなされ、また、潜在意識こそが宇宙精神とつながる鍵であることが示されています。

続いて、下記のような、いわゆる「宇宙一元論」が展開されています。

たった一つの原理ないし意識が宇宙全体に行き渡っており、すべての空間を満たしているということに異を唱える者はおりません。P26
思考する「意識」は宇宙にたった一つしかなく、その意識が考える時、その思考は客観的なものになります。この意識はあまねく行き渡っているので、それぞれの個人の中にも当然存在しています。P27

「異を唱える者はおりません」というのはあからさまな嘘ですが、要するに「私はそう信じている」ということを言いたいのでしょう。

展開されている「宇宙一元論」は、「引き寄せの法則」の元になっているニューソートの考えに由来するものと思われます。

ニューソートについての著作に関するレビューは、コチラにあります。

その内容を簡単に説明すると、「あらゆる物質を作り出す元になっているものが、宇宙に遍在していると考え、それを神と捉える」というような思想です。

有り体に言えば、ここで述べられているのは、「そういう神がいるので、それに向けて祈れば願いは実現する」という「信仰」だということです。

なお、章の最後では、瞑想のエクササイズをするように指示がされています。

このようなエクササイズについては、これ以降もほとんどの章の最後に記されており、願望実現のためにするべき訓練として提示されています。

 

「第2週 潜在意識の驚くべきパワー」について

ここでは無意識の力が大きなものであること、また無意識の性質、活用の仕方などについての解説がなされています。

そして、潜在意識は暗示を受けやすいこと、悪い暗示は良い暗示で置き換えるべきことが説明されています。

潜在意識が状況を変える力を持つ理由については、「(潜在意識は)宇宙精神の一部だから」という単なる信仰告白にすぎない言葉で片付けられています。

また、「宇宙意識の創造的パワー」(P43)の稼働を支配する法則として、「引き寄せの法則」が存在するとしています。

「引き寄せの法則」という言葉が出てきましたが、詳しい説明については、まだなされていません。

 

「第3週 身体の太陽」について

章の表題にある「身体の太陽」と呼ばれているのは、太陽神経叢(たいようしんけいそう)であり、これは胃の背後にあるもので、神経が網目状構造になった小集団のことです。

意識の働きを脳、無意識の働きを太陽神経叢に由来するものとして、対比して説明をしています。

また、この太陽神経叢については、個人が宇宙意識と出会う地点としても捉えられています。

そのため思考が願望を現実化するプロセスについては、初めに意識(脳)から太陽神経叢(無意識)に指令が出され、それが宇宙意識に届くという流れになるようです。

そして、この流れを作り出すスタート地点が潜在意識への願望の刻みつけであり、その具体的な方法が願望の対象を念じることだとされています。

また章の最後では、リラクゼーションのエクササイズが勧められ、これによって太陽神経叢の準備が整い、心の機能がフルに発揮されるのだと説明をしています。

このように太陽神経叢を無意識の座として捉える見方は興味深いものですが、そもそもこうした発想は東洋医学的な立場から得られたもののようです。

最近では「腸は、第二の脳」などとも言われますが、その腸を支配下に置くのが太陽神経叢なのだそうで、これ自体を「第二の脳」とする考え方もあるとのことです。

しかし太陽神経叢を無意識の在処とする見方は、少し単純にすぎるようにも思えます。

最も広く考えるとするなら、脳以外も含めたあらゆる神経細胞の活動のうちで意識化されない部分に寄与するものの全体が「無意識の在処」だというようにも考えられるからです。

ただし、太陽神経叢を無意識の在処と考えることによって現実的な効用が望めるとするならば、それはそれで当人にとっての真実だとは言えるでしょう。

また、リラクゼーションをすべしとするエクササイズについては、不安や怖れといったマイナスの刻みつけを潜在意識に対して行うのを避けることが目的であると思われます。

願望を実現させるためには、一度、心を凪の状態に持っていき、その後でプラスのイメージを刻んでいくという流れを作ると良いとされているという訳です。

 

「第4週 パワーの秘密」について

(宇宙一元論により)全体が一つであるから利己的であることは正しくなく、全体の利益を目指すために自らをコントロールし、理想的な状態をイメージできるようにすべきだと主張されています。

また、そのようなイメージを形作らせる情動を呼び起こす鍛錬をすべし、と説いています。

著者であるハアネルの意見は上記のようになりますが、当研究所の考え方からすると、「利己的なイメージは自らがそのような人々に囲まれているという思いを呼び起こし、否定的な精神的態度を形成する原因となるために否定される」ということになります。

また、「利他的な態度やイメージは、進化の段階において選択されてきたものであるため、それ自体が喜びをもたらすものであり、また力を生み出す源になっている」と説明されることになります。

もっと簡単に言うなら、人間は助け合って生き延びてきたのであるがゆえに、結果としてそれを喜びとする種類の人間が生き残り、そのようにして現在でも存在しているという話です。

重要なのは、利己性の否定が道徳的なものではなく、自らの利益のためであるという一種の矛盾、反転として説明される点です。

つまり、「人のことを考えろ」というのは、通常はただのお説教にしか聞こえない訳ですが、実際は自分の個人的な利益に強烈に繋がっているということです。

 

「第5週 心の家の作り方」について

思考こそが原因であり現実はその結果であること、またパワーは内側にあり、内側からやってくるがその流れを作るのは「与えること」であり、それによってまさに受け取ることができるのだとの主張がなされています。

そしてその源となるのは、「神から下され、あらゆる被造物に生命を吹き込む神聖な力」(P76)として説明されています。

明確に宗教的な記述が登場している訳ですが、特に以下のような記述についてはニューソートで言われるところの「神的流入」を思い起こさせるものです。

無限の源である宇宙精神から直接流れる力に基づき、しっかりした意識の土台を築いてください。P76

なお、ニューソートについての著作に係るレビューは、コチラにあります。

このような記述から、多くの「引き寄せの法則」について記してきた著作と同様、やはりハアネルの思想もまたニューソートの影響下にあるということが分かります。

なお、冒頭に書いた「パワーは内側にある」という表現は、「すでにその力を持っている」ということを示唆するものです。

そして「パワーが欲しければ、すでにそれを持っているとイメージしなさい」というのは、本書に限らず、一般的な意味での「引き寄せの法則」が教えている内容と合致するものです。

 

「第6週 注意力を養う」について

思考が持つ力を活かすには集中力や注意力が鍵となり、それは訓練によって獲得できると主張されています。

逆に言うならば、多くの人が願望を実現できないでいるのは、曖昧なイメージをほんの短い間だけ抱くことしかできないでいることに原因がある、ということになるのでしょう。

この他にも様々なことが書かれていますが、これまでの内容の繰り返しや補足が多くなっています。

 

「第7週 イメージの威力」について

ビジュアライゼーションについての章です。

望むもののイメージを「細部に至るまで完璧に」思い描くべきことの重要性を説いています。

借金について考えるのでなく豊かさについて考えよ、というお馴染みの話も出てきます。

イメージしたものが現実化されるその理由については、スピリチュアルな説明がなされています。

つまり、体を形作る細胞たちには、「必要な物質を、自分に引き寄せることができるサイキックな能力を授けられてい」(P99)るからだというものです。

当然ながら、これは説明ではなく単なる仮定であり、想像にすぎないものです。

当研究所はこの点については、無意識には刻み込まれたイメージを自動的に実現化しようとする傾向があり、そのためのデータ収集とその分析、現実化策の検討を行うからだと考えています。

無意識の性質に関する記事については、コチラをご覧ください。

 

「第8週 想像力を養う」について

自らの願望を実現する前提を見出すために、それが何から成り立っているかを分析すべきであることが説明されています。

また、章の最後のエクササイズにおいては、戦艦が作られるまでを起源にまで遡って考え、これが浮力についての法則にたどり着くことを示しています。

つまり、このようにして頭の中で思い描く力を培っていく努力をすることが大切だという訳です。

けれどもこうした主張は、一般的な意味での「引き寄せの法則」とは、かなり違っています。

なぜなら、努力して意識したり分析したりすることは必要でなく、「感情とセットでゴールをイメージすることが、現実化に必要なデータも材料も操作も与える道を見出させる」というのが、いわゆる「引き寄せの法則」の考えだからです。

著者のハアネルについては、どのような人物であったかについてあまり知られていないようですが、彼の言葉からは東洋思想への傾倒が感じられ、そこから影響を受けた、「喜びや悟りに至るためには修行(のようなもの)が必要だ」という類の発想があるように思われます。

 

「第9週 肯定的暗示の活用法」について

本書の題名である「マスター・キー」とは「引き寄せの法則」のことであると記されています。

また、否定的な考えが浮かんだら、肯定的な言葉を唱えよと説いています。

つまりは、アファメーションについての章ということになるでしょうか。

アファメーションの具体例として、次のようなものが挙げられています。

わたしは非の打ち所のない全体で、力強く、愛と調和に溢れ、幸せだ。P128

アファメーションというのは一種の祈りとも解することができますが、祈りの言葉というのは非指示的である方が望ましいということが、すでに知られています。

非指示的というのは、「特定の望みを表現するものではない」というような意味合いです。

より具体的には、特定の誰かとペアになりたいと望むのでなく、理想的なパートナーが欲しいと望むというような話です。

このように「望みを唱える場合には、大まかな内容のものの方が良い」という点については、自己暗示による治療を多く行い、大きな成果を挙げたエミール・クーエの考えとも符合しています。

上記のアファメーションについても、示された考えのとおり個別具体的なものでなく、全体的な内容になっていることが分かります。

ちなみに、クーエが勧める暗示の内容は、「Day by day, in every way, I’m getting better and better.」とされています。

訳すとすれば「日に日に、あらゆる面において、私はより良くなっている」といったところでしょうか。

なお本章では、「宇宙の法則」と「引き寄せの法則」と「原因と結果の法則」とが、同じものとして記されていますので、参考として書き留めておきます。

 

「第10週 思考は宇宙と個人をつなぐリンク」について

ここでは、思考こそが願望を現実化する「マスター・キー」であると主張されています。

しかし、実際に事をなすのは我々ではないとも説かれています。

このように、「目指すべきゴールについてのイメージは必要だが、それを実現するための手段や方法については考える必要はない」というのは、「引き寄せの法則」における一般的な考え方だと言えるでしょう。

上記の内容に併せ、但し書きとして、「望むことを思考するとき、それが無限の心と同調していることが必要だ」とも説明されています。

つまり否定されているのは、「破壊的ないし競合的思考」(P141)ということです。

破壊的思考というのは、例えば殺人であったり、盗みであったりということになるでしょうか。

これを本書が前提とする「宇宙一元論」的な解釈で言うなら、「それは神の意志に反する」ということになろうかと思います。

また、もしこれを現実的に解釈するとすれば、「進化の過程で選び取られたルールに反するから」ということになるのではないでしょうか。

殺したり盗んだりすることは、社会を不安定にさせるものであり、結果として、自らの命の存続にもマイナスの影響を与えるものです。

そのため、たとえ一時的な利益を受けることがあるにせよ、心からその正しさを納得し肯定することはできないのだから、その道を選ぶべきではないという話です。

一方で、競合的思考というのは、「自らがあらゆる点で競争状態に置かれている」という考えであって、これは「物事が不足している」というイメージから生み出されるものです。

しかし、このような発想は、周囲の人間にもまた「不足」の考えを呼び起こし、実際以上の「不足」の状態を実現してしまうものです。

例えば、災害時に食料や日用品を不要な分まで買い占めて、実際には使わずに無駄にするような状態を考えれば、イメージしやすいのではないかと思います。

 

「第11週 帰納的推理と客観的な心」について

帰納というのは、言うまでもなく、個々の事例から一般的な法則を見出すことです。

帰納法についての説明の後には、「何かをなそうとするなら、それがすでに達成されていると信じる」(P150)という「引き寄せの法則」ではお馴染みの方法が示されています。

しかし、この考えが帰納とどう関係するのかは、あまり判然としません。

どうやら、願望を実現しようとするときに、個々の状況への配慮を捨てておいてゴールだけを望むという態度が、帰納という「本質を取り出すときの方法」に似ているということを言いたいようです。

けれども、現実化を一般的なものから個別のものが引き出されることのように描いているとも捉えられ、だとするならば、それは帰納ではなく演繹です。

全体としては、「一般的な考え、いわゆるイデア的なものが現実化の元になるアイデアやイメージであって、それを見出すのが大切だ」ということを言いたいようです。

そして、それを見出すためには、瞑想を行うのが効果的であるとの主張がなされています。

帰納によってイメージすべき願望が見出され、そこからの演繹によって現実化がなされるという流れなのでしょうか。

残念ながら、いかにも繋がっているかのようにバラバラの話がなされている印象のある章です。

 

「第12週 引き寄せの法則」について

「引き寄せの法則」についての章ですが、言葉の定義をするような書きぶりはなされていません。

おそらくは、次のような内容を言っているものと思われます。

思考はわたしたちが望むものを生み出し、近くに引き寄せる力を持っています。P159
思考はその対象と関わり、心の中で起こったことに対応するものを物質世界に生み出す性質があります。P163

そして、以下のような説明が加えられています。

思考と対象に関わるダイナミックな力を与え、いかなる逆境をも乗り越えることを可能にする原理、それが引き寄せの法則です。それは愛の別名であり、万物に内在する永遠の根本原理です。P163

ここで疑問に感じるのは、「愛の別名」と呼ばれている「引き寄せの法則」ですが、それはプラスにもマイナスにも働くものではないかという点です。

つまり、ハアネルの言い方では、ただプラスの面だけを「引き寄せの法則」としているように見えるという話です。

これについては、次のように考えることができます。

すでに書いたように、本書の考え方はおそらくニューソートの思想に根ざしています。

そのため、素晴らしいものをもたらしてくれるのは「神」たる「宇宙意識」によるものであり、そうでないものは、その「神」から離れたことによる悪影響だと捉えられているということです。

 

「第13週 夢は実現する」について

まず科学的な発展の多くが、帰納的な分析によることが示されます。

そして、そのためには個々の現象に対して十分な注意を払う必要があることが説かれます。

また、そのような注意は霊的なものにも向けられるべきであるし、それが霊的なものを解明するだろうという話が展開されています。

その後の文章で霊的なものとして示されているのは、宇宙一元論的な「万物を生み出す根源物質」(P178)です。

そして、思考の現実化をもたらす「神」=「万物を生み出す根源物質」への信仰が足りないことこそが現実化を阻む原因だと主張されています。

結局、ここに至って文章の内容は、完全に単なる信仰告白となってしまっています。

本人がどう思っているかは分かりませんが、この主張から判断するなら、ハアネルは紛れもなくニューソート思想の信者であると言えます。

 

「第14週 潜在意識は宇宙精神と一つである」について

あらゆる微細なものに独自の働きを見て、それを「神」たる「宇宙精神」の表れであると説いています。

例えば、個々の細胞の働きに「心」の存在を感じ取り、それを「潜在意識」と呼んだりしています。

しかし微細なものが独自の機能や原理を持つからといって、必ずしもそれらすべてに「神」が宿っているということにはなりません。

こうした考えは、一種の文学的表現ではあり得ますが、事実とは言えないものでしょう。

すでに我々は、そのような働きがDNAに書かれた情報を通して受け継がれているということを知っています。

確かに、DNAを介した情報の伝達を神の意志によるものと捉えることは、可能と言えば可能です。

しかし、進化の過程での選択によるものと考えることに比べて、説明になっていないことは明らかです。

もちろん、進化により選択されたものの複雑さや微妙さに、畏敬の念を感じるのは不思議な話ではありません。

そして、そこに神の手による意図的な操作を夢想するのもまた、自然なこととも言えるでしょう。

けれども、それは単なる物語にすぎないものです。

残念ながらこの章は、ただ著者が信じたいことのために、そうであったら良いと思うことを語っているだけと感じられる部分です。

 

「第15週 わたしたちの暮らしを支える法則」について

生活において与えられるものは、困難や障害と思われるものであっても、自分のためになるものなのだと主張されています。

これについてもまた、「神の御手によるもの」ということを言いたいのであって、単に著者がそう信じている、そう考えたいというだけの話かと思われます。

もちろん、そのように世界を捉えることで得られる効用はあるものと思いますが、そういう話であるなら、そのように書くべきものです。

続いて、願望は言葉を使って表現されるため、言葉を慎重に選び正確に組み立てる必要があり、そのスキルこそが成功へのパスポートであるとの説明がなされています。

加えて、望ましい言葉を探し出すためには洞察力が必要だ、としています。

この部分の主張については、特に大きな異論はないところかと思います。

しかし、では洞察力はいかにして鍛えるかという点については、簡単なエクササイズが書かれているだけです。

具体的には、下記のような内容を突き詰めて考えれば、「分かるはず」(P203)としています。

わたしたちが自分自身に知識を適用できる唯一の方法は断固とした意識的な努力によってです。P203

他にも、考えるべきとされる内容がいくらか書かれてはいますが、いずれにせよ「分かるはず」というのでは説明の放棄と思われても仕方がないようにも思われます。

また、「断固とした意識的な努力」というのは、非常に主観的で曖昧な表現と言わざるを得ません。

 

「第16週 スピリチュアル・パワーを発揮する」について

富は手段であり、それが得られるかどうかは、より高次の理想を抱けるかどうかによるとされています。

そして、そのようなイメージを持つことが鍵だと主張しています。

またイメージが持つべき性質として、「印象の深さ、アイディアの重要性、ビジョンの明確さ、イメージの大胆さ」(P211)、「感情の強さ」(P212)といったものが挙げられています。

イメージを明確にすべしというのは、「引き寄せの法則」の関連書籍ではよく言われることです。

ところで、「イメージが明確である」と言えば、細部に至るまではっきりしているという意味と捉えられることが多いように思いますし、確かにその点も重要でしょう。

けれどもより以上に重要なのは、そのイメージが価値を持つことが明確であるということだと思われます。

つまり、単に自分だけの欲望の対象としてではなく、社会の中においてそれが実現することに価値があると思えるようなイメージであると、それは現実化への強い力を持つという話です。

なぜなら、その点こそが「感情の強さ」に対して、非常に強い影響を与えると考えられるからです。

イメージについての説明の後には、「宇宙精神は善でも悪でもありません」(P212)との説明がありますが、この点については「引き寄せの法則」を「愛の別名」(P163)とする主張との関係が分かりません。

つまり「愛ではあるが、善でも悪でもない」というのは、どういう話なのかということです。

またこの章では、「なぜ思考に感情をこめるべきか」についての説明もなされています。

それは、感覚というのは感情の感覚しかなく、それ以外の感覚は感情の変種にすぎないから、というように説明されています。

しかし、この説明では、その意味するところがまた判然としません。

たとえ感情が唯一の感覚だとしても、だからそれを込めるべきだという結論がなぜ出るのかが不明だということです。

最後に、意志によってビジュアライゼーションを導くべしとの主張がなされています。

これはおそらく、自らが深いところでその願望に同意できなければ実現は見込めないという意味合いではないかと思われます。

しかし、エゴ(意識)によって、エス(無意識)を手懐けることができるというような主張にも感じられ、全面的に同意できるような内容ではありません。

 

「第17週 象徴と現実―真の集中」について

まず、集中は思考や知識をもたらし潜在意識を目覚めさせるものだ、との主張がなされています。

集中によって直感力が働きだし、それが必要な情報を獲得させる元となるというようにも言われています。

ただし、ここで登場している、集中、潜在意識、直感力と言った言葉については、厳密に何のことを言っているかの説明はありません。

また、それぞれがどう関係しているかについては、大まかな記述しかないため、感覚的な理解しかできないように思います。

続いて、名声、財宝、地位といったパワーの象徴でなく、名誉、富、奉仕といったパワーそのものを求めるべしとの教えが説かれています。

求めるものが象徴にすぎないのか、パワーそのものであるのかの判断の仕方については、次のような記述がヒントになりそうです。

あなたがどの程度成功できるかは、どんな願望を抱くかによって決まります。もしあなたの抱く願望の性格が自然の法則ないし宇宙精神に調和していれば、あなたの心は徐々に解放され、揺るぎない勇気を得るでしょう。P225

このような考え方は、ヒックス夫妻版の「引き寄せの法則」で言われるところの「感情というナビゲーションシステム」の考え方に近いものだと思われます。

つまり、ただ頭の中での結論を重視すべきなのではなくて、感覚として自分自身が同意していることが大切だという話です。

「宇宙精神に調和していれば」と言われると意味が掴みづらいですが、「自分にとってしっくりくるような選択」と書けば、分かりやすいのではないでしょうか。

章の最後では、「物の基本原理や核心、スピリットを把握する」のが重要であるとの主張がなされています。

しかしこれは、トートロジー(同語反復)的な表現です。

なぜなら、基本原理や核心、スピリットという言葉の詳細な意味合いが語られておらず、そのため「重要な部分」という程度の意味としか捉えられないからです。

つまり、「重要な部分は、重要だ」というのは、当たり前だという話です。

 

「第18週 新しい意識の目覚め」について

再び、「宇宙精神」に対する信仰告白が記された章です。

まず、あらゆる生き物が宇宙精神によって支えられており、植物、動物、人間というヒエラルキーの理由は全能の知性たる宇宙精神との近さによるものだと主張されています。

そして、宇宙精神と近づけば近づくほど、大きな力を利用することができるのだとされています。

続いて、思考が個人と宇宙精神を繋ぐ鎖であり、それが「引き寄せの法則」を作動させるエネルギーだと説かれます。

また、思考のパワーを操るには注意力が必要で、注意力を鍛えるには訓練しかないとされ、具体的には注意を払い、関心を呼び覚ますことがそれに当たるとされています。

以上のことを逆向きに説明すると、次のようになるでしょう。

様々なことに注意を払えば関心が呼び覚まされ注意力が鍛えられて、思考のパワーを操ることができるようになり、結果として宇宙精神との繋がりができて、願望を叶えることができる。

しかし、問題なのは、この宇宙精神との繋がりという部分です。

思考のパワーにより願望を実現することの根拠を宇宙精神に求めるとするならば、それは「祈れば与えられる」という旧来の宗教的な考えと、さほど違っていないものと言えるでしょう。

つまり、わざわざ多くの言葉を費やして説明するほどの内容ではなくなってしまうということです。

当研究所は、「引き寄せの法則」を世界をどう捉えるかに関わる一つの思想と捉えています。

また、願望が実現するのは、人間が相互に無意識的な影響を与えあっているためだと考えます。

つまり、「祈れば与えられる」のは、神の力によるものではないということです。

 

「第19週 運命を制御する」について

無知が知識の不在であり悪が善の不在あるように、一方で原理となるものがあり他方はその不在にすぎず、実際に働いている原理は心(=「宇宙精神」)だけだと説かれています。

同時に、すべては変化し移ろうが原理としての心だけは変わることがない、とされています。

つまり、引き続き「宇宙一元論」についての説明が展開されており、またその賛美がなされている訳です。

ポイントは、無限にある「根源物質」(=「宇宙精神」)がすべてを生み出す原因であり、そこに働きかけるのが思考だという点です。

何度も指摘してきましたが、これはニューソートの思想そのものです。

そしてまた、書かれている内容は何の説明にもなっておらず、単なる信仰の告白にすぎないものです。

「第20週 人は求めるものしか得られない」について

あらゆるパワーの原因が「宇宙精神」にあり、そのことを認識し、思考を活用すればそのパワーが利用できるという説明がなされています。

そして、そこでの認識には、自分自身の中にも「宇宙意識」があるということも含まれているとされてます。

なぜなら、そもそもすべては、根源的な物質「宇宙精神」から生まれたと仮定しているからです。

けれどもそのような信仰を持たない立場から言うとすれば、むしろ方向は、その逆だろうと思われます。

つまり、まずもって「自分自身には力がある」と思いたい人間の姿があって、そこから「宇宙精神」なるものを思い描かれ、パワーの原因をそこに求めたのだろうという話です。

また、ここで想定されている「宇宙精神」というのは、進化の過程で身についてきた倫理だと捉えることができます。

倫理というのは、もちろん「人が踏み行うべき道」のことであり、例えば、「互いに協力し合う」というようなことは、そうしたものの一つです。

そして、進化によって得たものであるがゆえに実践をすると喜びが得られ、また協力者も集められることになって、だから願望の成就が大きく促されることになると考えられる訳です。

なぜなら、そのようなことを喜びとしない種類の人間は、すでに滅びていると考えることができるからです。

このような考えからニューソートの思想については、「進化の過程で人間の心に深く刻み込まれた倫理性を尊重すれば、喜びが得られ、また願望の成就の可能性が上げられるとの教えを「神」に絡めて説明したもの」と見ることができることになる訳です。

そしてまた、倫理性に合致しない望みは、自分自身が心から深く同意することができないために力が弱く、だから実現が見込めないことになると説明されることになります。

ここで倫理性と呼んでいるものの範囲は広く、その中には、いわゆる楽天性のようなものも含まれます。

そのことは「抑うつリアリズム」の理論を見れば明らかです。

つまり、うつ病の状態の人の方が現実を正確に把握しており、逆に言えばうつでない人には、現実以上に世界を楽観的に捉えるポジティビティ・バイアスがあるということです。

積極的なものの見方は成功や喜びと繋がっており、消極的なそれは失敗や抑うつを引き寄せることになるという話です。

 

「第21週 人間は平等である」について

つまらないことに悩まされているときには、大きなことを考えるべきとのアドバイスが示されています。

そして、そのようにして心に抱く思いが現実を作るのだという教えが説かれています。

続いて、心の姿勢は脳内のイメージに影響を受けているので、それを変えるためにはビジュアライゼーションが有効だとしており、習慣的な訓練が力を持つとされています。

また、人生は観念の戦いであり、進歩を求める創造的な側と後戻りをする否定的な側の二種類が争っているのだと説明しています。

否定的な側はそれを認めようとしないが、すべての人が同じようにスピリチュアルなパワーを持つとされ、ただそのことを知らない人がいるだけだと主張しています。

すべてのものが「宇宙精神」から生み出されたとする本書の主張、つまりニューソートの考えからすれば、すべての人間が平等であるという考えは自然なものと言えるでしょう。

この点を当研究所の考えから分析するとすれば、次のようになります。

 

「第22週 波動の法則」について

「波動」についての章です。

「引き寄せの法則」の正しさを主張する書籍の多くが、この波動による説明を好みます。

しかし、その内容は大づかみで不明瞭なものにすぎず、ただの想像としか言えないものです。

実際、確かにあらゆる物質は振動をしています。

けれども、その振動を整えることで問題が解決されるとするのは、ひどく粗雑な理論と言わざるを得ません。

著者は「心の活動が波動であるとわたしたちは知っています」(P276)としていますが、心も波動もあまりに曖昧な表現で、その意味するところはぼんやりとした感覚、印象としてしか掴めません。

なお、宇宙に存在するあらゆるものがただ一つの物質からなっているとする考えに「超ひも理論」がありますが、これはまだ仮説にすぎません。

ですから、すべてがただ波動によってどんなものにも変化するということも、思考が波動に影響を与えるということも、単なる想像にすぎないものです。

また、どんな発明品であっても、単に念じたことで実現されたものは一つとしてありません。

頭の中のアイデアが元になったとしても、現実的な操作が必ずあったということです。

ニューソートの思想は、この点を無視しており、その点において誠実な主張とは言えないものです。

加えて、次のような記述からは東洋的な「修行」の概念が見て取れます。

健康への道はあらゆる科学の基礎である波動の法則の上に打ち立てられます。この法則は心すなわち「内面世界」によって動かされます。それは個人の努力と訓練の問題です。P279

しかし我々は、あらゆる病気を内面世界への働きかけによって治そうとする考えが必ずしも正しくはないことを、すでに知っています。

つまり、実際にプラセボが無視できないほどの効能を持ち、また祈りが病気の症状を抑えることが確認されるなど、そのような働きかけが非常に大きな力を持っていることを認めはしますが、それが万能ではないこともまた知っているということです。

この点については、いわゆるニューソートの信者のどの人間であっても、通常考えられる以上に長く生きている訳ではないことからも明らかです。

この当然の事実は、ニューソートが唱える「老化ですら誤った考えを排すれば克服できる」とする思想と明らかに矛盾しています。

さて、一般的に言われるところの「引き寄せの法則」の思想は、ここに危険な言い訳を用意しています。

つまり、「あなたの病気が治らなかったとすれば、それはあなたがした内面世界への働きかけが不十分だったからだ」というものです。

これは、富や名声についての話に置き換えても、まったく同じことです。

何かを信じるということ、つまりもはや疑うことをしないという態度には、非常に危険な側面があるということが分かることになります。

我々はすでに、思考というものが脳の神経細胞間で信号が伝わり神経伝達物質がやり取りされることによって生じていることを知っています。

ならば、それに合うように「引き寄せの法則」を解釈し直すことが必要になってくる筈だと言えることになる訳です。

 

「第23週 お金とスピリチュアリティ」について

この章では、成功のためにはまず与えること、そのためには集中した熟慮が必要だと主張してています。

また、知り合いの成功者の例を挙げ、その成功の理由を「スピリットである彼が、自らの源と調和し、多少なりともそのパワーを顕在化させた」(P292)ためと説明しています。

また、「スピリチュアリティはこの世でもっとも「実用的」なもの」(P294)として、それを活用できればビジネス面での成功は容易なものであるとも述べています。

当研究所では、「引き寄せの法則」を無意識的な心の働きによるものと考えています。

それを利用する際に重要なのは、エス(無意識)が望みに同意することです。

著者のハアネルは、この点について、上記のとおり「自らの源と調和」というように表現しています。

つまり、「引き寄せの法則」をニューソートの一神教的な「宇宙精神」への信仰から考えるとしても、当研究所のように無意識の現実的な作用と捉えにしても、自らとの調和が重要である点は変わらない訳です。

逆に言うとすれば、多くの人がこのような調和を失っているがために、成功できないでいると説明できることになります。

ここから当然、「いかにして調和をするのか」が問題になりますが、その点については、コチラに記してあります。

本章で著者のハアネルは「少しでも無限の心の反対にあったら、何事もなしえない」(P293)としていますが、この前半部分を「少しでもエス(無意識)とのミスマッチがあったら」と書き換えるとするなら、深く同意することができる内容です。

 

「第24週 心の錬金術」について

「思考が原因であり、現実はその結果である」という、すでになされた主張が繰り返されています。

また、自分自身とマッチした考えを抱くことの重要性が説かれ、その点については以下のような言葉で表現されています。

わたしたちの人生の環境や無数の状況、出来事は潜在的な人格の中にすでに存在しています。潜在的な人格が自分の性分に合う精神的な素材や身体的な素材を引き寄せるのです。P302

この言葉は、「引き寄せの法則」を無意識の働きによるものと解する当研究所の考えと完全に符合します。

つまり、重要なのはエス(無意識)の中にすでに存在する自らの「性分」を見出すことです。

この点については、他にも「自分が現実化して欲しい真実を自分自身に納得させればいい」(P299)というようにも表現されています。

重要なのは、自らの中にある「納得できる考え」というのは、つねに、すでに決まっているということです。

例えば、誰かを憎いと思うことがあったにしても、本当にその人が苦しんで死ぬようなことを心から望むことができる人間は、極めて稀でしょう。

瞬間的に強い憎悪を感じたとしても、そのような思いをいだき続ければ、自分が毒されてくるのが分かるからです。

つまり、これは「殺意を感じるような憎悪を、深く自分に納得させることはできない」ということを意味しています。

では、自分に納得させられるような考えというのは、どういうものであるのでしょうか。

それこそが、個々人が探っていくべき問題であり、そのことについて大まかな共通性はあるものの、同時に、人の答えをそのまま自分のものとすることはできないものだとも言えます。

 

解題

繰り返し述べてきましたが、本書において展開されている思想は、ニューソートに基礎を置いています。

というよりもむしろ、ニューソートそのものと言って良いだろうと思います。

また、単なる信仰告白でしかない部分も多分に含んでいますが、ニューソートの思想についての洞察とそこから得られた結論については、かなり深く的確な内容を含んでいることが感じ取れます。

もっとも重要なポイントは、最終章に書かれているように、「なすべきことは自らの内部に刻まれた情報を見出すことだ」という点にあります。

一方で少々残念なところは、望ましい思考へと至る道を「修行」のようなものとして捉えている点です。

これについては、訳者による解説にも書かれていることですが、ヨガの思想への傾倒が影響しているものと思われます。

つまり、現在ではいわゆるヨガとして認識されているポーズと呼吸法によるハタヨガの実践などをとおして得心された内容を含んでいるがために、そのような修行こそが思考を鍛え上げるエッセンスだと捉えているように感じられるということです。

ただし実際には、著者が本書内でヨガの実践を勧めていることはなく、各章に瞑想のエクササイズが書かれているだけです。

しかし基本的な考え方として、瞑想のような訓練をとおして思考が正しく矯正されていくようなイメージを持っていることは間違いないところかと思います。

確かに思考を変えることは重要であり、そのためにはこれまでは見過ごしてきたものをもう一度捉え直すために注意を払うといった、多少の努力は必要になります。

しかし、「引き寄せの法則」を活用するための実践方法として考えるなら、それが必ずしも厳しい努力と訓練と捉える必要はないと言えるでしょう。

なぜかと言えば、そこで行われることというのは、基本的には、先の最終章に書かれていたような「自分を納得させるもの」を探す旅であり、つまりは自分にとっての喜びを掘り当て続ける道であると言えるからです。

要するに著者であるハアネルが「修行」によって深い洞察を得たにしても、それは修行というものがハアネルにマッチしたものであった点に原因があるのだという話です。

いずれにせよ、多少の偏りや「神」=「宇宙精神」への信仰を含んでいるとは言え、本書が優れたものであることは間違いのないところかと思われます。

つまり、無意識や脳科学的な知見が限られていた時代状況の中で、しかし願望実現のための効果的な実践法を、かなり踏み込んで考え、掴んでいるように思われるということです。

この本は、「引き寄せの法則」とはどのようなものかということに対して、一つのまとまった形での回答を与えている価値ある一冊だと考えます。

 

【商品リンク】

⇒ amazon
⇒ 楽天
⇒ ヤフーショッピング