ココがポイント
無意識の声を聞いて、その力を利用する。
でも、どうすればイイのかは、ゼンゼンわかりない。
前回、エス(無意識)の声に耳を傾けることが大事だという話をしました。
それを無視して、エゴ(意識)の意見に支配されたままでは、望みを叶えることはできないということです。
けれどもエスのあり方は、人それぞれ違っています。
それどころか、同じ人の中でも、その時々によって変わってきたりもします。
実際、エスの声を聞きながら進むように言われても、それがどういうことなのか、なかなかピンと来ない部分もあるのではないかと思います。
そのため、エスについて、もう少し詳しく説明していきましょう。
実際には、完全にそれぞれのエスが別々であって、共通するものがまったく何もないかと言えば、そういうわけでもありません。
ですから、その共通する部分、エスの基本的な性質について書いていきたいと思います。
「望みを叶えるためには、どういう点に注意すればよいか」のヒントにしてください。
ホンマやな?
うっふん。
もくじ
エス(無意識)の声を聞く方法
さて、「エスの声をどう聞き分け、受け取ればよいか」ということを説明していきます。
例えば、何かの願みを叶えようとして頑張っているけれども、うまくいかないようなケースを考えてみましょう。
この場合、「どうしても実現したい」と思う心がエスとも言えますが、「もういい、あきらめよう」と考えるのもエスだというようにも言えます。
あらゆる感情が生まれてくる元になる場所が、エスだからです。
まず注目すべきポイントは、続けるかやめるかを決めるときの感情の動きです。
具体的には、挑戦を続けようとするときに明るい気持ちになることもあれば、あきらめようとするときにどこかほっとするような感情を抱くこともあるだろう、ということです。
自分がどう感じるかを見てやれば、それによってエスが何を言おうとしているかが分かるわけです。
また、続けるかやめるかのどちらに決めたにしても、その後に生まれてくる感情の動きも大切です。
決心の結果、いつまでも解決されないモヤモヤが心に残ることもあれば、スッキリしたり、ホッとするようなこともあるでしょう。
そこにある心の動きがエスの声であり、それをきちんと観察するのが大事だという話です。
こう書くとごく当たり前の話で、いつも誰でもがそうしているように思えるかもしれません。
けれども実際には、多くの場合、このようなエスの反応を見てやることができていません。
そうして、いつまでもしっくりこないままに、願望を実現できずに、問題を抱えたままで生活をすることになるわけです。
そこには、「自分が意識的に出した結論で進めば、エスを黙らせることができる」と勘違いしているエゴの思い上がりがあるように思われます。
色々考えたり決めたりするときに、実際にキモチがどう動いてるかをちゃんと見てやるって話か。
多くの人が間違ってしまっているポイント
ほとんど人は、エゴの意に沿うようにエスをコントロールしようとしますが、やるべきなのはまさに、その逆のことです。
つまり、エスの意に沿うようにエゴをコントロールするのが、選ぶべき道です。
ここで、「食欲」という身近な例で考えてみることにしましょう。
多くの人が、「どのくらいの体重が適性か」だとか、個々の食事について「どのような総カロリーや栄養バランスであるべきか」といったことを気にします。
つまり、エゴの立場から「食欲というエスを、どうやってコントロールしようか」と考えます。
けれどもすべきなのは、この逆のことです。
まずもって、「何が食べたいのか」というエスがあって、それを満たしたうえで、「全体をどうコントロールするのか」というエゴの役目があるのです。
例えば、標準的な量以上に食べたいと感じて、総カロリー数が大きすぎるのなら、運動をして消費してやる必要が出てくることになります。
けれども、そこではまた、「そこまでの大変な運動をしたくはない」というエスも登場してくることになるわけです。
ですからエゴとしては、エスが発した複数の声の調整を行う立場を取るべきなのです。
食べたいという感情と運動したくないという感情は、どちらもエスの声なため、エゴがそこを調整して落とし所を見つけても、さほど大きな不満は残りません。
けれども、頭からカロリーや栄養バランスについての理屈を振りかざして、エスを抑えつけようとすれば、大きな不満が残ります。
そもそもの意向をまったく無視されてしまえば、気分が腐ってしまうのは誰でも同じことです。
もし長く不満が溜まっていけば、いつかそれが爆発して、ダイエットなどなかったかのような暴飲暴食につながることになってしまうわけです。
色んな「したい」を頭から否定するんじゃなくて、いくつもある「したい」をうまく取りなしてやるってコトか。
考慮すべきエスの性格
ここまで説明したとおり、エスから生まれた感情の調整が大事なポイントです。
ただしエスには、よりよい状態の自分をつねに求めるような傾向もあるため、その点も考慮してやる必要があります。
つまり、例えば何度もダイエットに失敗してしまうと、求めている自分の姿と大きく違ってくるために、自己嫌悪感が高まるというようなことです。
ですから、ダイエットに成功して誇らしいようなイメージを意識的に思い描いて、感情を奮い起こし、そこで生まれる「誇らしく思えるような自分になりたい」というエスの感覚を目覚めさせてやるのが、とてもよい方法なのです。
そして、そんなエスの声もまた「食欲を満たしたい」「運動したくない」といった望みの中に加えてやって、それらの全体を調整してやるという流れになります。
調整が必要だという点を逆に言うなら、エゴの主張はエスを無視した一方的なものなりやすいということで、そこに注意が必要だということです。
栄養バランスとカロリーを考慮することは理屈から言えばまったく正しく、だから、エゴはそういう正論をエスに飲み込ませようとする傾向があります。
けれども、エスから生まれた欲望をドライなロジックで抑えつけることは、そのまま不幸な感情につながってしまう結果になるのです。
先の説明で出てきたどのエスの声も、多くの人にとって、お馴染みのものであることでしょう。
つまり誰であっても、「食べたい」と思うこともあれば、「運動したくない」という感じも、「誇らしい自分でありたい」という願いも持っているということです。
けれども、これらはどれも子供のようにただ求めているだけの状態ですから、そこのところの面倒をエゴが見てやるのが大切になってくるわけです。
結局は、エスのエネルギーを借りないと、でっかい願みは叶わないんだし。
親としてのエゴ、子としてのエス
現実の親子のことを考えてみましょう。
子供はあれがしたい、これが欲しいと勝手な望みをぶつけてきます。
それを受けた親の方では、「そんなことをいちいち聞いていたのでは大変だ」と思い、「こうしなさい」と問答無用の命令を下しがちなわけです。
けれども、そんなことが長く続けば、いつかは子供が癇癪を起こすことになります。
これとまったく同じことが、自分の心の中で起こるというわけです。
つまり、子供の心がエスで、親の判断がエゴであるということです。
頭ごなしの命令を続ければ、うつ状態につながる可能性さえあります。
大事なのは、実際の子供と同じことで、気を掛けてやることであり、また大切に思っているのを伝えるということです。
なぜなら、どの人の心の中にもエスという子供がいるのであって、同時に、その子供は、ただ気を掛けられたというただそのことだけで、かなりの満足感を味わうからです。
他愛もない子供が自分の中にいることをよくよく知ること、そして、そのことをいつも忘れずにいること、それが成功へのカギであると言えます。
自分の思うとおりにしたいから、「引き寄せの法則」に期待したのに、結局、自分の中のガキの面倒を見ないとアカンのかいな。
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